竹内銃一郎のキノG語録

名優たち J・SとJ・WとK・Hのこと①2017.04.06

室内がすべて綺麗に片づいたわけではないが、どうにか落ち着いてTVが見られる状態にはなった。そこで久しぶりに、録画しておいた映画を見る。立て続けに「シェナンドー河」(1965年公開)と「オレゴン魂」(1975年公開)。

前者は、家族で農場を経営する一家が、ちょっとした誤解から北軍に拉致された末息子を奪還するために、後者は、保安官がひょんなことから知り合ったふたりの「仲間」を引き連れて、軍隊からニトログリセリンを強奪した悪党どもを捕まえるために、「追っかけの旅」に出て、道中いろいろな艱難辛苦がありましてという、お話はいたってシンプルだが、ともに想定を超える西部劇の秀作だ(初見)。

わたしは偉そうに言えるほど映画を見ているわけではなく(これまでせいぜい2~3千本?)、知っていることは限られていて、だから「シェナンドー河」の主役=父を演じるジェームス・スチュワートは、F・キャプラの「素晴らしき哉、人生!」やA・ヒッチコックの「めまい」で演じたような、勇気ある小市民、あるいは、運命(=理不尽な巡り合わせ)に翻弄される善良な男、いずれにせよ、いわゆる「ヒーロー=英雄」とはほど遠い役柄を得手とする俳優だと思っていたが、しかしこの映画では、7人の子供たち(うち娘がひとり)をまとめあげる見事な統率力と、いかなる困難にも挫けない強靭な意志と、そして勇猛果敢な行動力を持つ、古典的な父親を演じて、それになんの違和感も抱かせないことに驚く。

お話もまことにうまく出来ている。時は南北戦争の終盤(?)。J・Sの農場近くが戦場になっているのだが、彼は一家と農場を守るため、戦争は他人事と一切の関与を拒んでいる。一人娘の結婚、長男夫婦の子供の誕生といった平和な日々に亀裂が入るきっかけになるのが、16歳の末息子が、川で拾った南軍の帽子で、彼はその帽子を被っていたために、北軍の兵士たちに捕虜として拿捕され、それを知ったJ・Sは奪還のために …という流れである。旅の途中、ご都合主義的とも思われるような偶然の幸運が重ねられるが、そのすべてのプラスを帳消しにしてもなお余りあるような不幸が彼らを次々と襲う。詳述はしないが、J・Sは家族の幾人かを失ってしまうのだ。旅から帰り、十数年前に亡くなった妻の墓の傍らに彼らの墓を立て、そこでのJ・Sの長い長いモノローグは、前述したような家長らしさとはまったく裏腹な、おそらく多くのひとが彼に抱いているイメージそのままの、気弱で優しくて善良な市民を思わせるもの、その変容ぶりが見る者の涙を誘うのである。

「オレゴン魂」の主役の保安官を演じるのは、あのジョン・ウェイン! こちらはいうなれば永遠のヒーローで、いつだって向かうところ敵なし、悪党が何人何十人いようと負けるはずがないと思わせて、もちろん、ここでもかすり傷ひとつ負わないのだが、手練れの作り手たちは、といってこの種の手練手管がとりたてて物珍しいわけではないけれど、彼を、法や社会常識などクソ喰らえでおまけに底なしの飲んべえという、保安官にあるまじきチャーミングな人物に仕立て上げている。そんな無法者とコンビを組むのが、キャサリン・ヘップバーン演じる牧師の娘だが、しかしキャサリン、この映画の公開時には御年68歳、娘と呼ぶのはいかにも苦しいけれど、ジョン・ウェインも同じ歳だからふたりの意気投合にはなんの違和感もなく、いや違和感どころか、このふたりの共演は後にも先にもこれ一本らしいのだが、ホットなJ・WとクールなK・Hは、これ以上にない名コンビで、しかも、映画の7割近くがそんなふたりの丁々発止、打てば響く漫才そこのけのやりとりで占められていて。いやあ、笑う笑う。(以下続く)

一覧