竹内銃一郎のキノG語録

遠くのものが出会う 「ある海辺の詩人ー小さなヴェニスで」を見る2014.09.08

いつまで続くデング熱騒動。高熱が出るだけで死ぬわけじゃないんでしょ。除虫薬を散布するだけでいいんじゃないの? 別にフェンスなんかしなくったって。なんかほしいというのなら、立て札でいいでしょ、「蚊に注意!」みたいな。あとは自己責任でいいでしょ。なんかねえ。やってる感をアッピールしたい行政と、テレビ映りのいい絵がほしい局側の意向が合致しての、ほとんどこれはヤラセの一種ではないのじゃないか、と。
テニスの錦織が全米オープンの決勝進出ということで、ここでも大騒ぎ。<事件>がほしいマスコミの煽りに、テニスなんかなんの興味もなさげな人々が乗っかってる図、あまりみっともいいものじゃない。
それはともかく。昨日のスポーツNで錦織くん、テニスはメンタルスポーツでといい、自分の心の支えになってる詩があると語る。まさか、アレじゃないだろうなと他人事ながらその先を危惧していたら、やっぱりアレで。
彼が好きな詩(人)は、かの相田みつを先生(のお言葉)だった。

アチャー。
あのね、きみは世界を代表するプレイヤーを目指しているわけでしょ。そしたらさ、もう少し自分の発言を考えた方がいいと思うんだよね。というか、もう少し知性・教養を深めないとバカにされるよ、世界の人々に。まあ、子供の頃からテニステニスで明け暮れてたから、本なんか手にする時間もなかったんだろうと思うけど。
だからって、相田みつをはないよなあ。彼のまわりにフツーの教養を持ってるひと、誰かいないの?

 
録画しておいた「ある海辺の詩人 -小さなヴェニスでー」を見る。2011年劇場公開。
中国女性のヒロイン。故郷は福建省だと言っているから、イタリアへは不法入国なのだろうか。中国から来る際に借りた渡航費を(蛇頭に?)返すために、そして国に残してきた8歳の息子をこちらに呼び寄せるための費用を稼ぐために、不当ともいえそうな労働を強いられている。最初はローマの縫製工場で働いていたのだが、その働きぶりを認められ(?)、小さなヴェニスと呼ばれているらしいナントカって港町へ移動させられ、その町のカフェで働くことになる。かなり大きな店を、彼女はひとりで切り盛りすることになる。最初は客の言葉がわからず苦労をするが、たちまち言葉を覚え、店に来る男たちとも親しくなる。その中のひとり、仲間たちから「詩人」と呼ばれる老漁師と親しくなって …‥
海と大雨のために冠水した町並み。上映時間90数分のうち、70分ほどの画面に水が溢れている。ネットで調べたら監督はドキュメンタリーを撮っていたひとらしい。さもありなん。海とそして潟の様々に変わる表情が見事に捉えられている。
ヒロイン役のひと。イタリア在住の素人かとおもいきや、これまたネットで確認したら、チャオ・タオという中国を代表する、ワールドワイドな女優さんのひとりだ、とあり。うーん。だって、ほんとにそこらへんの30代半ばのフツーの中国人の、幸薄い下層の庶民にしか見えないのだもの。自らの遅れ=無知・不明に恥じ入る。
<事件>などなにも起こらない。最後に思わぬ喜びが用意され、そして哀しい事実も明らかにされるのだが、それはとても慎ましやかに伝えられ …‥。にもかかわらず、終始、このままで終わろうはずがない、なにか起こるゾと、通俗的な卑しい期待感を観客に保ち続けさせる。つまり、登場人物たちのなにげない会話や振る舞い、そして先にも記した海・水の表情等に快い緊張感があり、全編サスペンスフルなのだ。
物語は、過去・現在・未来と流れる時間とともに成立するのだが、この映画の登場人物たちは自らの過去をほとんど語らない。ヒロインはなぜイタリアに来たのか、彼女の(いるはずの)夫のことも、彼女の生い立ちもほとんど語られない。
親しくなった老漁師も、30数年前にユーゴスラヴィアからこの町に来たこと、そして、少し離れた町に住んでいる息子が一緒に暮らそうと言って来るがそれを拒否していることくらいしか明らかにされない。そう、彼の仲間のひとりに「弁護士」と呼ばれている老人がいるのだが、なぜ彼がそう呼ばれているのか、それも分からない。
誰もが<いま>を生きている。考えていることもせいぜいが明日のメシはどうするかくらい。
なんという潔さ!
お涙頂戴の物語の大半は、不幸な過去(を明らかにすること)によってもたらされるが、この映画では過去が語られないので、哀しみも透き通っている。
古代中国の詩人、屈原の詩のいくつかが彼女によって披露される。老漁師は彼女に自作の詩を贈る。
「遠くのものが出会う」とは、詩人・西脇順三郎のシュルレアリズムの定義だが、これは、中国を離れた詩人とユーゴを捨てた詩人との、奇跡の出会いと淡い恋を水で(水に?)描いたお話なのだ。

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