竹内銃一郎のキノG語録

怪物?! 蛭子さんの話2014.09.30

日曜、土橋夫妻来宅。楽しく歓談。家で缶ビールふた缶、それから誰か来た時によく行く栞屋へ行って日本酒2合。それだけしか飲んでいないのに、11時過ぎ家に帰ってすぐにバタンキュー。金曜の事故の後遺症かと不安になる。
今朝、鏡で顔の傷の具合を確認したら相当にひどい。土曜日、商店街を歩いていたら5人にひとりくらいの割合で女性がこっちをチラチラ見るので、ドブロックの歌ではないが、「もしかしたら俺のこと誘ってンじゃないの~」と思っていたが、こりゃ見るはずだわ。顔の左上、髪の生え際から斜めに10センチ×2センチくらいの擦り傷の痕が赤く走っている。ヒェー!
顔の傷で思い出した。これは岩松(了)さんから聞いた、いままた注目を浴びているらしい蛭子さんの話である。
もう20年以上も前になるのだが。岩松さんが蛭子さんとふたりで旅公演で行った街を歩いていた。すると、向こうから、火傷の痕だか、生まれついての痣なのか、とにかく顔の半分くらいをそういうモノで占められたひとが歩いてきた。フツーのひとはそういう場合、あっとかえっとか一瞬驚くけれど、気にしてない、気づかないというふりをする。でも、蛭子さんはそのひとを発見したときからすれ違うまで、ずっとまじまじと見ていたらしい。「蛭子さん、それはダメでしょ」と、岩松さん。「なにが?」と蛭子さん。「だって、失礼でしょ」「なんで? ああいうひとはいつもひとに見られてるから、いくら見られたって平気なんですよ」「 ……」
蛭子さんが、柄本(明)さんや岩松さんがいた劇団東京乾電池の芝居に俳優として出演していた頃の話だ。
ついでに、蛭子さんはコワイと思わせるエピソードをもうひとつ。
わたしも一度だけ、東京乾電池の芝居に出演したことがあり、これはその時の話。
蛭子さんはいつも出番前に楽屋で漫画を描いていた。当然のようにみな興味があるので彼の仕事ぶりを覗く。フツーのひとは、そんな自分の現場を覗かれることは嫌がるはずだが、蛭子さんはまったく気にもとめない。これだけでも相当な器の人間であることが分かるが、わたしが驚き、このひとはコワイと思ったのは、覗いていた誰かが、ベンガルさんだったか、いかにも軽く、「蛭子さん、ここんとこに葉っぱが一枚落ちてきたら面白いんじゃないの?」と口を挟んだら、「ああ、そうですね」とすぐに葉っぱを書き込んだのだ。
誰にだって多少のプライドはある。一応、蛭子さんはプロの漫画家で、口を挟んだのは俳優としてはプロでも漫画に関しては素人だ。それ面白いかも? と思っても、「うーん、それは …」と一応ポーズくらいはとるはずだ、それが。言われた途端、間髪を容れずささっと葉っぱを …!
上演に際しては、台詞の一言一句を変えてはならぬ、とのたまう劇作家とは大変な違い。恐るべし、蛭子能収。

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