竹内銃一郎のキノG語録

不穏とか不埒とか   「ロブスター」を見る②2017.06.19

描かれている世界には奇妙なルール=規則(=法律?)がある。ある一定の年齢を超えたら(成人になったら?)、独身であることは許されず、結婚相手が亡くなる、離婚に至ってしまった、等々の<事情>には関係なく、独りになったら規定の施設(ホテル)に入れられ、そこで45日以内にパートナーを見つけることが出来なければ、他の動物にされてしまうのだ。でも、多少の救いはある。なりたい動物に変身させてくれるのだ。主人公はロブスターを希望する、平均寿命が100年と長く、生殖能力は死ぬまで衰えないという、フツーに考えればふざけた理由から。むろん、当人は大真面目である。

上記は、この物語世界の幾つかあるルールの中のもっとも重要なものだが、この映画には物語の成り立ちを超える、この映画固有の決まりごと、緻密な規律がある。

冒頭からそれが提示される。雨の中、車を走らせる熟年の女性。彼女が別になにをするわけでもないのに、画面は不穏な空気に包まれている。道路脇の草原で二頭のロバ(多分)が草を食んでいる。彼女は車を停め、拳銃を手にロバの方へと歩いていく。そして、左側のロバに銃口を向け、二発三発。何事もなかったように女性は車に戻り、撃たれたロバはゆっくりと倒れ、もう一頭のロバはそれに近づく。以上の光景のすべては、車のフロントガラス越しに捉えられていて、二度ほど、雨に濡れて曇ったガラスがワイパーで拭かれ、当然のことながらその度に映像がクリアになる。彼女はそれっきり二度と登場せず、従って、なぜそんな酷いことをしたのか、その理由が明らかにされることはない。説明に費やす言葉や描写は極力遠ざけること。この映画の規律のひとつである。

改めて言うまでもないことだが、ひとにはそれぞれ趣味嗜好というものがあり、誰でもその固有のメガネを通して、世界を見ているのだ。メガネが他人には見えないなにかを明らかにすることもあれば、逆に、見えるはずのものを見えなくしていることもある。冒頭のシーンにあった不穏な空気がラストまで途切れることがないこと、あるいは、絶体絶命のピンチが迫っている主人公と彼の(許されない)恋人の緊迫した語らいの場に、おそらく独身者のなれの果てと思われるラクダがのこのこ現れるといったような、真面目か不真面目か判断がつかないこの映画の世界観=規律が、どこのどなたにもすんなり受け入れられるとは思えない。わたしが、不穏だの不吉だの不埒だのといった言葉で称揚するシーンを、少なからずのひとは、不明、不快といったような言葉で切り捨てるだろう。いや、逆に、この映画の基本線ともいえる「独身者を排せよ」という設定を、管理社会の恐怖の戯画化として賞賛を惜しまない、厄介な御仁も少なからずいるだろう。ヤレヤレ。そういう<社会的視点>からしか作品を見ない人々をこそ、この映画は笑いの対象としているというのに。

(以下続く)

 

 

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