一点を見続けること 「前略 ショーケン様」②2017.07.27
昨日はお昼過ぎ、近くの小学校へ健康診断に行きました。一週間ほど前に区役所からお誘いの電話があったので、スルーするのは申し訳なく。平日のそんな時間に集まるのは、わたしのようなブラブラ老人が大半であることは当然としても、診断にあたる医師や看護師たちまで、わたしらとさほど変わらぬご高齢の方々、やっぱりこの国は老人大国かと思わず苦笑してしまったわけで。詳細な検査結果が届くのは一か月ほど先とのことですが、尿や血圧になんら問題がなかったことに、ホッ。でも、久しぶりに計った体重が、学生時代よりも25キロの増量! トホホ。500キロからある競走馬だって、前走より25キロ増で出走してきたら、わたし、まず馬券は買いませんもの。もうひとつ、トホホな出来事が。すべての検査が終わったあと、係の人に誘われるまま握力を計ったらこれが! 年齢別評価でなんと1、最低であることが判明して。「わたしは箸より重いものを持ったことがないんで …」と言って一応、係の人たちの笑いはとったのでしたが。情けないやら悔しいやらで。
今週の「前略 おふくろ様 第16回」は、前回の続きで、ショーケンさん演じる三郎の隣の部屋からいとこの海ちゃん(桃井かおり)が姿を消した翌日の話でしょうか、山形の田舎から彼女のお父さんが娘の顔を見に上京してきて。その話を聞いてサブちゃんの部屋に来た故・川谷拓三演じる鳶の利夫さんが、お父さんに海ちゃんとの結婚を認めて貰いたいからと言い出し、サブちゃんは例によって例のごとく、「いや、それは …」「まずいスよ」とモゴモゴ言って彼を押しとどめようとしているところへ、海ちゃんのお父さんがそこに現れて。サブちゃんが住む狭いアパートの一室に、それぞれ入り組んだ心持を抱えた男たちのやりとり、ショーケンさんもいい、川谷の拓ボンも、父親役の大滝秀治も面白い、やっぱりTVドラマは俳優の良し悪しが生命線だと確信したわけで。それと忘れちゃならないのが演出(力)なわけで。
前回の、行きつけの小さな飲み屋のカウンター席に、サブと利夫さん、それに故・室田日出男演じる、利夫さんの上司・半妻が三人並んでのやりとり、あのシーンの演出は最高で。利夫と海ちゃんが犯した「一夜の過ち」をいかにも言いにくそうに語る半妻と、その話に手ひどいショックを受けて首うなだれているサブ、そして、申し訳なさいっぱいに、こちらも首うなだれている利夫。三人を上半身サイズで捉えるカメラは、半妻が語っている間ずっと微動だにせず、その動かないカメラが、その場の緊張感を高めるだけでなく、さらにその上の、必ず次にはとんでもないことが起こるはずという予感・期待感を高めて、そう、サブにも利夫にも一言も喋らせないというシナリオの指定もこれまた見事で、緊張感が最高位に達したところで予想通り、半妻が利夫をボコボコに。笑いました。これつまり「緊張の緩和」というやつなわけで。
少なめに見てもこの10数年、TVドラマはほとんど見たことのないわたしがこんなことを書くのはちょっとアレですが、このレベルの演出がなされたドラマって最近ありますか? リアルな緊張感を湛えながら笑えるという。昔はよかったなんて感慨は毛頭持たないわたしですが、TVドラマに限っていえば、この「前略 ~」をはじめとする、70年代に作られたものが最高だったのではないか、と。そう言えば。この数日前に見たヤフーニュースで、賢そうなお顔の多部未華子が「演じたい役がない」と、なにかのインタヴューで語ったことを伝えておりました。同情します。
と、ここまで書いてもうひとつ思い出したことが。先にショーケンさんの首うなだれるシーンに触れましたが。わたし、演出している時によく、台詞のないときは対象はなんでもいいから一点を見てろ、と俳優に言っているのですが、これ多分、ショーケンさんのこのシーンの芝居がずっと頭に残っていたのでは、と。いや、思い出したのではなく、いまそれに気が付いたのでした。