鴨たちよ、きみたちの「ハッピーエンドの選び方」は?2017.08.07
只今台風接近中。雨は小休止模様だが風強く、空を見上げると黒い雨雲が凄いスピードで流れている。鴨たちは大丈夫だろうか。
このところのささやかなわたしの楽しみは、住まいの近くの七条大橋から五条まで、時間があるときは四条を超えて三条大橋まで、鴨川べりを散歩することで、その主要目的は、川面に浮かぶ水鳥たちを眺めることである。わけても鴨たち。あれは家族なのか、5~8羽くらいがグループになって川面で餌を探している様がなんとものどかで、まさに真夏に吹く一服の涼風。しかし。一見すると、彼らはのんびり水に浮かんでいるようだが、決してそうではない。一点から動かずにいるということは、川の流れに逆らっているということで、つまり、流されないためには水面下で、終始せわしなく脚で水を掻いていなけれならないということだ。そして、時々、自分たちの縄張りに他からやって来る鴨がいるので、来たら全力で追い払わなければならない。言わずもがなであることを承知で書くが、それは舞台上での俳優と同じで、飛んだり跳ねたりするよりも、ゆっくり動いたり、不動であり続けることの方が、実は多くのエネルギーを必要とするのである。それはそれとして。台風や大雨のとき、鴨たちはどこに避難しているのだろう? 川? 陸の木の上?
土曜日の早朝、思わぬ拾い物をする。競馬がある土日は、不必要に入れ込んでいるので、競馬が始まる時間より、3、4時間も早く目が覚めてしまう。一昨日もそういう愚かしき朝を迎え、競馬が始まるまでの時間潰しにTVをつけると、CSのムービープラスでやっていたのが、「ハッピーエンドの選び方」という、なんとも詰まらなさそうなタイトルの映画。しかし、冒頭のシーンにグイと引き付けられる。歩行器とともに歩いている老女、電話の受話器をとると、彼女の名を呼ぶ声が聞こえてくる。すると彼女は、「神様?」と問い、すると、電話をかけた老人が「そうだよ」と答え、老女「もう生きているのが辛いから殺して」老人「残念だけど、いま天国には空きがないから、もう少し頑張って生きていなさい」 …。もちろん、彼は神様なんかではなく、老女と同じ老人ホームに妻とともに住んでいる老人。彼は昔、鉄工所(みたいなところ?)で働いていた、ちょっとした発明家で、老女への電話も、彼ではなく神様からのものだと思い込ませるべく、声を変える機器を作って、それを使っているのだ。
物語の詳細は記さないが、驚くべき傑作。主役の老人の発明器具が、同じ老人ホームに住む何人かを安楽死に導く、これが物語の中心に置かれている、だから、決して軽くない内容なのだが、しかし、ところどころで度々、笑わせてくれる、例えば、主人公とともに複数の安楽死に関わる、元獣医と元警官がゲイで愛人関係であることが明らかになるシーンとか、主人公の妻が認知症で、ある日の朝食時、食堂に素っ裸で現れ、あとで彼女は、自身がしでかしたことを知り、深く傷つくのだが、その夜、夫を含めた親しい仲間たちが、みんな素っ裸になって、夜のパーティに彼女を招き入れる、とか。なんて優しくて知的で笑える慰め方だろう。感動的なシーンはまだある。最初の安楽死の手助けをしたあとのこと。葬式を終え、仲間たちを乗せた車が老人ホームに帰るその途中で、車に乗っている彼らが、ひとりひとり、同じ歌を歌いつぎ、そして、死者たちも蘇って(?)一緒に歌い出すという、唐突なミュージカルシーンとか。
出演者たちの平均年齢は、おそらく80を超えていよう。この事実がまたことさらにわたしを感動に導いたことは否めない。でも、それだけではない。とにかく、このイスラエルで作られた映画、俳優たちが揃って、舌を巻くほど演技が巧みで、いや、お芝居してるとは思えないリアリティ。まだお昼にテレビ朝日系列でやっている、倉本聰がシナリオを担当している、同じ老人ホームを舞台にしたドラマとは、話の内容も出演俳優の力量のほども、比較のしようがないほど、もう月とスッポン。ああ、情けなや。おッと。
窓の外が騒がしいと思っていたら、激しく雨が降っていて、風もゴーゴー吹いている。鴨たち、大丈夫かあ?