竹内銃一郎のキノG語録

クロサギ?   キノG-7経過報告②2017.08.10

朝10時ころ、鴨川の様子を見に出かける。このところの豪雨で当然のことながら水位はずいぶん上がっていて、ゴーゴーと音をたてながらすごい勢いで流れている。鴨たちはと見れば、七条大橋の下の、水の勢いで横倒しになったと思われる丈の長い草の上に7羽。いつもはあちこちに20羽ほどいるのだが、他はどこへ行ったのか。サギなどと違って首の短い鴨は、川の水位が上がると水中の餌を探すのは困難をきわめるはずだ。そのあと、コンビニで買ったスポーツ新聞を、マクドナルドでコーヒーを飲みながら読みながらお昼まで、と思っていたのだが、急遽予定を変更して三十三間堂へ。

三十三間堂は三か月ぶりの二度目なので、今回はじっくり1001体の千手観音像を観察。お顔が微妙に違うのは分かっていたが、よくよく見れば、お祈りのために合わせている両手の位置が、お腹に近かったり胸前であったり、立っている両足の形も、踵をくっつけてるもの、そうでないもの、両足先の開いた角度も像によってずいぶん違う。もっとも美しいと感じたのは、最前列の中央あたりに置かれたもの。両足の間をわずかに開けて平行に置き、両手はお腹の上あたり、従って、肘の角度は90度近く、お顔は小さく、女性的で、少し俯き加減、というか、別に顔自体が俯いているわけでなく、目の形がそう感じさせるのだろう。まさに「静の中の動」なのだ。

この一週間で、最初のふたつ、「夢ノ旅路」と「花ノ紋」の出演者はめでたくすべて決定したのだが、京都の公演場所が決まっていない。ここだと思って交渉したところは、もう先約があっって、ということだったのだが、その返事を貰うまであまりに時間がかかり。こちらのミスもあったのだが、対応が、殿様商売的というか、おたくら何様?的なというか、なんとも高飛車で。かなりアタマに来たので、このブログで実名を挙げてコテンパンに叩きのめしてやろうかとも思ったが、それはあまりに大人げなく …。もう京都での公演はナシにしよう、と。

以前にも書いたか。今回の企画は明快なビジョンがあって始まったわけではない。元・ドラボメンバーの河田からなにかやりませんかという茫漠とした話があり、その時たまたま、全自作のデータ化という作業に退屈を覚えていたので、じゃ、リーディング公演を連続でやれば、データ化に目的も出来て …と。まあ、最初は軽いノリで動き出したのだ。しかし、世の中そんなに甘くはなく、動き出して初めて、やろうとしたことの大変さが分かるのだ。出演交渉も大変だったが、しかし、メールというものがあって救われた。世間話ならばともかく、電話が苦手なわたしに、電話で交渉なんてとても無理な相談で。

公演場所を、演劇の公演を専らにするところではない、なるべく小さなところを、と考えたのも、当初は経費の面からだったのだが、単にそういうことでもないような気がして。まあ、これはアングラ・小劇場勃興期によく語られていたことだが、劇場はすでにあるものではなく、劇が生まれたその時にその場は劇場として誕生するのだとか、俳優の呼吸音までも台詞と捉え得るほど、舞台と客席が至近距離にある小さな空間こそ、わたしたちの劇場だとか、忘却の彼方に消えたはずの<劇の定義>が、実は頭の片隅に残っていて、これを機会にもう一度復活させようと思ったのではないか、と。なんだか他人事みたいだが、これも動き出すまで気がつかなかったことなので。

それにしても。知らないことが多すぎる。三十三間堂の帰り、橋の上から鴨たちを見ていたら、黒い鳥が飛んできて、カラスかと思ったら着水したのでびっくり。よく見れば、首も細く長く、外見は色は違えどサギそっくり。しかし、「クロサギ」は漫画のタイトルで実際にそんな鳥はいないんでしょと思って、しかし一応の確認をと家に帰ってウィキで調べたら、なんとクロサギという鳥は実在していて、しかもいまは希少なのだというから驚く。

 

 

 

 

 

 

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