竹内銃一郎のキノG語録

演劇批評の今、昔。  豊崎由美さんの「ラストワルツ」評に驚く。2017.09.06

「集成Ⅴ コスモス狂」にも戯曲4編を収めるつもりだが、最後のひとつがなかなか決まらない。当初の予定では、「月ノ光」を入れるつもりで、10月公演のチラシにもその旨を掲載しているが、いざ書きだしてみると、イマイチしっくりこない。それは前回も触れたように、出演者が決まっていないことが最大の理由だが、この戯曲は一部の切り取りを拒否しているからだ。抜き出すと、その部分だけでは内容がよく分からないように書かれている作品なのだろう。むろん、だからいいとか悪いとかという話ではなく。

一回に収める4本は、書かれた年代や初演の集団・劇団に幅をもたせたい、という基本方針から、「月ノ光」の代わりは、この作品と同じJIS企画で上演されたものが適当だと考え、そのタイトルから最後の「動植綵絵」に入れる予定の「ラストワルツ」と、「月ノ光」の次にJISで上演した「チュニジアの歌姫」を読む。両戯曲とも、「テアトロ」に掲載されているが、単行本にはなっていない。本棚からまず「ラストワルツ」掲載の「テアトロ」を取り出すと、中に豊崎由美さんが書かれたこの芝居の批評をコピーしたものを発見。「月刊テレビタロウ」に掲載されたものだ。もちろん、既読のものだが、その存在をすっかり忘れていた。読んでみると、これが!

二週間ほど前だったか。演劇批評家の協会だか連盟だかが年に一度か二度出しているらしい演劇批評誌が送られてきた。去年、小野寺演出で上演された「あの大鴉、さえも」の批評が掲載されているためで、送られて来ることはすでに聞いていたので、どんなものかとそれなりの期待をもって頁を開いてみたら、「大鴉」に触れた文章は、想定を大幅に下回る分量で、なおかつ、こんなことを書いたらお書きになった筆者は怒りに震えるだろうが(ま、いいでしょ)、まことに無内容というか的外れも甚だしいもの。他の方々の批評にも、ザッと目を通しただけだが、まあ似たり寄ったり。大学で2~3年、「演劇批評」の講義を担当したことがあり、その時の学生のレポートの採点基準に照らすと、みな70~75点程度のものなのだ。ある年の授業レポートで、JISで上演した「マダラ姫」をレポートの課題にしたことがあり、その時も、当時の演劇雑誌で披露されていた多くの劇評よりも明らかに格上と思われたレポートが何本か提出されて、それを書いた学生の優秀さに驚くとともに、演劇批評の目に余る劣化に改めて驚いたものだったが。現状はさらに …?

前回にも触れた藤田くんとの歓談の際。彼も文章を寄せたらしい、音響の協会も含めた各種スタッフの協会が共同で、日本演劇を回顧する本を出版し、その中に掲載された、故・森秀男氏の日本の演劇を概観した文章に感嘆したと言っていた。森さんはわたしも親しくさせていただいた演劇批評家だが、さもありなんと思った。当時(60年代後半から80年代半ば?)活躍されていた故・扇田昭彦氏や大笹吉雄氏よりも年長で、彼らの熱っぽい文章に比べれば、新聞記者でもあったからだろうか、森さんのお書きになっていた批評は、客観性の勝ったものだったが、いま読めば、おそらく、前述の雑誌に載った文章よりもずっと対象の舞台に対する「熱=愛」を感じさせるものであるはずだ。

豊崎さんの「ラストワルツ」評は、簡潔にまとめたストーリー紹介から始まっていて、その的確さにも驚かされたが、それに続く、まるで鋭利なメスでわたしと作品をえぐるような筆致に身震いしてしまった。いやいや、わたしはそこまで考えて作ったわけではと、ちょっと腰がひけそうな明晰さ。でも、言われてみればそうかも知れないという説得力があり。なによりかにより、書き手=豊崎さんの熱=愛が感じられて。この作品が上演されたのは1999年で、いま改めて俯瞰すると、60年代後半からこの国の演劇界に吹き荒れていた熱風は、このころになるとすっかり沈静化していたはずなのに、なんだ、この熱さは?! 劇中、佐野さん演じる主人公の孤独な大学教授が、息子が亡くなる寸前にオーデンの詩を読むという回顧シーンがあるのだが、それに感動したらしい豊崎さんは、わたしも竹内氏に詩を贈ろうと、文章の最後を、ポルトガルの詩人ペソアの「これこそ」という詩で締めくくっている。えっ、これはわたし宛のラブレター? と思ってしまって。そんな勘違いはともかく、なにを今更と自分でも思うけれど、多分この批評は、わたしについて書かれたすべてのものの中で、最良のものだろう。120点!!

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