竹内銃一郎のキノG語録

Oh crazy! やっぱりクレージーキャッツは不滅です。2017.09.12

しばらく中だるみ状態が続いていた「前略 おふくろ様」、ここに来て再び調子を上げてきたのは、最終回が迫っているからだろうか。それにしても。ショーケンのなんと素晴らしいことか。先週、今週ともっぱら聞き役に回っているのだが、その聞いてる表情、リアクションがなんともかとも。彼が凄いのは、相手役が誰で、どんな芝居をしようと、難なく対応できる柔軟さだ。彼が働く料亭の花板を演じる梅宮辰夫、若女将役の丘みつ子も素晴らしく、彼らの絡みにはいつも緊迫感が溢れている。だから、これを見終わったあとには、どんな番組を見ても、空々しく感じてしまうのだ。が、このドラマについては、3週後に放映される最終回を見たあと、詳細に綴るとして。今日は、クレージーで、ドーンといきましょう。

以前にも書いたが。これまで書いた戯曲を読み直し・書き直ししていると、あちこちで似たような台詞を書いていることに我ながら驚く。「自分は自分にとっていちばん遠い他人」というのもそのひとつなのだが。録画しておいた「爆笑! ハナ肇とクレージーキャッツ」なる番組を見て、彼らの影響大なることをすっかり忘れていたことに恥じ入る。芝居を始めて間もない頃、いちばん影響を受けたのは誰なのかという質問にはきまって、「中学生のころ、日曜お昼に放映されていた『スチャラカ社員』です」、と答えてきたが、いやいや、正解はクレージーの方でしたな。バカバカしさの抜け具合が尋常じゃない。それでいて、もともとがミュージシャンだからだろう、やることなすことがあか抜けている。影響を受けたというより、憧れていたと言った方が正確かもしれない。司会の武田鉄矢も言っていたが、半世紀経ったいまでも当時と同じように笑えるのは、音楽とナンセンスな動きの組み合わせから生まれたギャグを連発しているからで、大げさではなく、欧米であろうと中東であろうと間違いなく笑いをとれるはずだ。そこが昨今の、言葉の掛け合いで笑いをとっている漫才やコントと根本的に違うところで、大御所的な空気をまき散らしている松本人志(=自称笑いのプロ)が、日本語が通じない外国で笑いをとれるかというと、まず無理な話だろう。

最初にクレージーキャッツの存在を教えてくれたのは、わたしより三つか四つ年上の従兄弟、アツオくんだった。少なめに見ても父方の従兄弟だけで4~50人はいた中で、お祭りやお盆にみんなが集まると、彼はいつも主役で、まだ小学校低学年だったわたしの目には、彼は笑いの天才に見えたものだ。そんな彼がクレージーは面白いよと教えてくれたのだから、わたしが後追いしないわけがない。植木等の「スーダラ節」が流行ったのは、1961~2年。植木やクレージーが歌う歌のほとんどは青島幸男の作詞だが、まあ、歌詞のくだらなさといったらない。ただくだらないだけでなく、反社会的・反常識的・反道徳的なのだ。だって、真面目な努力家を「コツコツやるヤツぁ ご苦労さん」と言って笑い飛ばすのだから。現在、彼らの延長線上にいると思われる芸人は、ナイツくらいだろうか。まあ、高度成長期だったという時代性もあるのだろう。多少無茶をやっても「ちょっこらちょいとパーにはなりゃしねえ」と楽天的でいられたのだ。いまみたいな明日が見えない、不倫がバレると社会から葬り去られるような、がんじがらめの管理・監視社会じゃなかったのだ。いまの若いひと、ほんとに可哀そう。

番組で語られたこと、あるいは、流された昔の映像のほとんどは既知のものだったが、唯一驚かされたのが、ピアノを担当していた桜井センリのこと。彼は当時、ピアニストとして他のメンバーを圧する高い評価を受けていて、だから、メンバーはみなお互いをあだ名で呼びあっていたのに、桜井だけは、「桜井さん」とさん付けで呼ばれていたという事実! 因みに、彼は前述の「前略 おふくろ様」に、丘みつ子演じる若女将の亭主役で出ている。ついでに言うと、彼には外に愛人がいて家にほとんど帰らないという、まさに反社会的人物だ。

 

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