竹内銃一郎のキノG語録

二股大開き?!  「マジカル・ガール」に触れる③2017.09.28

前回に記した「主たる4人の登場人物たち」が一堂に会することはなく、4人の中の3人が一度に顔を合わせることもない。会うのはいつも「ふたり」だが、最初の<出会い>はいずれも、意外性に富んでいて、なおかつ、出会ってしまったがために、互いに不幸な結果を招くことになる。いや、すでに抱えていた不幸の種が、出会いによって一気に開花したというべきか。などと書くと、なんだかひたすら重くて暗い映画かと思われるだろう、しかし。

前回にも書いた冒頭部のように、20余年という時間を軽々と跳んでみせる映画で、なおかつ、主要人物のひとりである少女アリシアがアニメ好きという設定は、監督の好みを反映したものらしいのだが、アニメ風はそれだけに止まらず、ゆえあって金策のために自らの性=からだを売る嵌めに陥るバルバラは、さらに高額の金銭を要求され、それに応えるために、「さそり部屋」と呼ばれるなんともアニメチックなネーミングの場所へ身を投じるのである。その時点で容易に、悲惨な結果を予想できるのだが、しかし、重い決断とは裏腹の軽すぎるネーミングに笑ってしまうのだ。同様の<引き裂かれ>は随所に見られる。

多くの事柄が謎に包まれている。元・教師であったダミアンは、なぜバルバラに会うことを恐れ、バルバラはなぜ彼のことを「わたしの守護神」と呼び、そもそも彼はどういう罪を犯して刑務所で10年過ごすことになったのか。結果だけが無造作に投げ出されていて、理由・事情はなにも語られない。その一方で、物語を物語として成立するための気配り・心遣いはなされている。例えば。ラストで、ダミアンはルイスの携帯をとりに彼の家に行き、ひとりで部屋にいたアリシアと、最悪の、最初にして最後になってしまう出会いを果たすのだが、いつも携帯を家に忘れて出かけるルイスの癖を、ずいぶん前のなにげないシーンで見せておくとか、物語の中頃で唐突に、見も知らぬ老人が部屋でジグゾーパズルをやっているカットが挿入されるのだが、あとでそれが、老いてさらに「仏頂面で残念」の度を増したルイスであったことが判明するとか。

「主要人物は、物語がはじまって、全体の四分の一くらいまでには必ず登場させなければならない。そうしないと、その彼・彼女の説明のために時間が割かれ、物語の加速の妨げになる」とは、わたしが半世紀ほど前に通っていたシナリオ研究所の授業で、シナリオの基礎を担当されていた新井一氏のいまも忘れない教えであるが、この映画の作り手(たち?)もまた、「基本の教え」を忠実に守っているのだ。一見奔放に見えて実はオーソドックスな作り。物語としては人間の内奥に深く入り込みながら、映像的にはアニメ・マンガチックな表層の滑走に止める。この二股大開きが「マジカル・ガール」最大の美点で、謎めいていて話は暗いのに、そして、何度も物語から行きはぐれてしまうのに、にもかかわらず、後味がすっきりしているのはこのためだろう。最後に落語風のスマートなオチまでつける。好き💛。

 

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