「チェーホフ流 竹内銃一郎集成Ⅲ」解題にとりかかる前に2017.12.07
「チェーホフ流」に入れた戯曲は次なる4本。「みず色の空、そら色の水」(1993年 東京乾電池初演)「氷の涯」(1995年 東京乾電池初演)「オカリナJack&Betty わたしたちののぞむものは」(2010年 DRY BONES初演) 「ランドルト環」(2016年 MODE初演 公演でのタイトルは「あなたに会ったことがある・4」)。
今回のタイトルは、チェーホフの流れを汲んでいるという意味で、いずれの作品も、彼の小説や戯曲を引用あるいは参考にしている。他にも「チェーホフ流」と呼んでいい作品は幾つかあって。連続上演の最後に予定している「動植綵絵」に入れた「ひまわり」(1988年 秘法零番館初演)は、チェーホフの「三人姉妹」とシェイクスピアの「リア王」をドッキングさせたもので、勤務していた近畿大学の卒業公演用に書き下した「夢見る力」(2008年)は、「三人姉妹」とベケットの「ゴドーを待ちながら」をやはりドッキングしたもの。いま「アーカイブ」で調べたらまだあった。1985年に秘法8番館で上演した「贋金作りの日記」。これも「三人姉妹」から相当量を引用している。まだ他にもあったような気がするが …
<チェーホフ流>に触れて初めて面白いと思ったのは、「プラトーノフ」を原作に、ニキータ・ミハルコフが監督した映画「時計じかけのピアノのための未完成の戯曲」で、これは70年代の終わりに観たはず。ミハルコフには、チェーホフの小説「仔犬を連れた貴婦人」を原作にした「黒い瞳」(1988年公開)もあり、「氷の涯」は、この映画に触発されて書かれた。それにしても。「三人姉妹」の引用が多すぎるが、これには確かな記憶がある。おそらく80年代半ばだろう、その頃、わたしがもっとも贔屓にしていた「劇団卍」の芝居(タイトル失念)のラストで、「三人姉妹」のラストの台詞、あの「まあ、あの楽隊の音。~」が群読されて、これは凄いゾと唸り、わたしもやってみましょうと、性懲りもなく幾度も繰り返したのだった。引用の引用ですな。
中村雄二郎のチェーホフに関する刺激的な論考に触れたのはいつだったのか。と思ってネットで検索していたら、鈴木忠志さんの名前が出てきて、そうそう、中村vs鈴木の対談は面白かったなあと思い出し。鈴木さんのブログが出てきたので、読んだらやっぱり面白く、次から次と止まらない。「バカバカしさが人間の哀しいところ」なんて文章にぐっと来る。早稲田小劇場が利賀村に移ったときには劇団員が38名いた、という記述に驚く。ああ、小田(豊)さんも豊川(潤)も、その向こう見ずの38人の中にいたんだよなあ。今ではもうこんなこと、ありえない、多分。とここまで書いてふと「鈴木さんはアノ坂本さんと同年ではないか?」と思い、ウィキで確認する。
「アノ坂本さん」とは、二ヶ月ほど前に書いたブログ「今朝のG爺放談~」で触れた御仁。朝のTV番組「よーいドン」の「人間国宝さん」のコーナーで紹介された、81歳にしてトライアスロンに挑戦しているアノ坂本さんのこと。そうそう。前回、最近見たTV番組に触れたが、ひとつ大事な番組を書き忘れていて、それがコノ坂本さん。二か月前に「宮崎の大会に出て80台ランキング1位になって、来年オーストラリアで行われる世界選手権に出るんだ」と言っていたのだが、その大会に円広志も観戦に行って、そのレースの模様が、今週月曜に放映されたのだ。これがもう! 坂本さんが、泳いで自転車に乗って、それから走るその懸命な姿に、円もそしてスタジオでそのVTRを見ていた出演者も全員感動の号泣。かく言うわたしも泣いた泣いた、こんなに涙を流したのはいつ以来かというほどに。いやあ、わたしも負けずにガンバラネバ。因みに。鈴木さんは78歳でした。もちろんいまもお元気な現役!