竹内銃一郎のキノG語録

悲劇的or非・劇的? 「ひまわり」のラストシーン  「動植綵絵」メモ⑧2018.05.10

「ひまわり」の後半部は、前・中・終と三つに分けられるが、今回の上演では、前回記した「前」と、これから書かれる「中」を分けてご披露し、さあ、ここから「終」が、というところでストップがかけられる。なぜ、ふたつに分けて、なおかつ、「終」を見せないのか。連続しているものを分離することによってもたらされる効用は幾つかあって、流れを中断することによって、このあとどうなるの? という観客の興味をさらにかきたてることが出来るのではないか、というのがひとつ。ふたつに分けるということは、その間に別の作品(「ラメラ」と「食卓㊙法~」)の割り込みがあるわけだが、「ひまわり」を含む三作はいずれも、表面的には平穏な日々を過ごしていた家庭が、外部からの侵入者によって蹂躙されるお話で、だから、「ひまわり」は中断されてはいても、基底ではそのメロディあるいはリズムは変調しつつ続いていて、この物語の「変調」を、俳優たちの変身ともども観客諸兄に楽しんでいただこう、というのが分離のふたつめの理由。更には、「月ノ光」も含めた4作が、接しあい割り込みあうことで、それぞれが単独にある時とは別の表情を垣間見ることも出来。こんな大胆不敵な試みを可能ならしめるのは、今回のような上演形態であればこそ。「終」をカットするのは? 構成上、「ひまわり」の最後を見せてしまうと後が続かない、と判断したからであります。

さて、前回の話の続き。エドマンドがやって来たのは、勤務する会社の本社からお呼びがかかり、明日朝早くこの町を出ることになったので、その挨拶のためだった。彼は、いまなら百均で売られているような、お手頃な日用品を売り歩くセールスマンで、この町にやって来て約一ヶ月、もうこのへんが潮時という会社の判断があったのだろう。怒り心頭のアル・父は、そんな挨拶など必要はない、とっとと出て行ってくれと彼に言うが、マーシャとオーリガは、彼の真意を問いただす、自分たちに投げかけた言葉の。彼は悪びれることなく、わたしは嘘つきではない、オーリガと結婚をして、マーシャを愛しながら、イリーナと一緒に暮らすことが出来たら、と思っている、と。そして、こんなことを夢想したのは、アンドレイから聞いた、家族とのいかにも楽しそうな暮らしぶりが羨ましかったからだ、とも。彼の父親は彼が四つの時に家を出、高校生の時に母親が亡くなってそれ以来、彼はずっとひとりだったのだ。「もしもわたしと結婚したいのなら、そのお腹の子どもは …、父親になりたくないんです、わたしは」とオーリガに言って立ち去ろうとするエドモンドを、放棄・父が止め、「父親がいなくなった朝、おまえの枕もとになにか置いてなかったか」と尋ねる。「枕もとには父の使っていた古い腕時計が …」と語るエドマンドの話は、以前にアル・父から聞いた話と重なり、あろうことか、ふたりが離れ離れになっていた父子であるらしいことが判明したその瞬間、突然部屋=舞台の明かりが消え、暗闇の中で、エドマンドの苦痛の悲鳴が聞こえる。すると、客席側から懐中電灯のひと筋の明かりが差し込み、腹部を押さえるエドマンドと彼を抱きかかえるアル・父の姿が浮かび上がる。傍らに血のついた包丁が。それを遠巻きに見ている<家族>たちに、「誰がこんなことを!」とアル・父が怒りの言葉を投げつける。家族たちはそれぞれ、クラシカルな形容句を駆使して、自らの無実を訴える。両者の激しいやりとりの中、「俺はおまえを捨てた父親だ。死んではならん。死ぬ前に、これで、この刃でこの父の胸を刺せ!」というアル・父の言葉を聞いたエドマンドは、「ああ、えどまんどはやはり愛サレテタンダ」という言葉を残して息絶える。アル・父は、ゆっくり立ち上がり、まるで亡霊のように部屋の中を歩き回りながら、末娘のコーディリアの死を知ったリアの嘆きの台詞を語る、「泣け、泣け、泣かぬのか! …」と。

明るくなると、舞台には冒頭と同様、ふたりのガラス拭き。今度は部屋の内側の<見えない>ガラスを拭いている。着ているシャツにはべっとりと血糊が。仕事をしながら彼らは、「なんだか後味が悪くって。ムカムカするぜ」「化学調味料の使いすぎだな、ありゃ」「妙にベトついてもいた」「きっと油が古かったんだ」と、さきほどまでの<芝居>を揶揄しつつ、自分たちの<介入=犯行>を匂わせ、どこからか流れた音楽を耳にすると、「まあ、あの楽隊の音!」に始まる「三人姉妹」のラストの台詞を声高に叫んで …。幕。

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