「月ノ光」を手探りする。 「動植綵絵」メモ⑨2018.05.14
「食卓㊙法~」「ひまわり」と多くの文字数を費やしてストーリー紹介をしたが、なんとなく気分がすっきりしない。これまでも繰り返し書いてきたが、ストーリーは、「商品」で言えば包装紙、人間で言えば外見に過ぎない。ひとが本当に知りたいのはその<中身>のはずである。にも関わらず、小説や映画や芝居の紹介と言えば、ストーリーあるいはテーマの紹介に終始する。その轍をわたしも踏んでいるかに思われて。
例えば。「ひまわり」の終わり近く、エドマンドは何者かによって殺されてしまうのだが、そのことが読者・観客に、(願わくば)大きな驚きを与え、哀しみをもたらすのは、この直前にアルバイト・父とエドマンドが、実は本当の父子であり、その<重大な事実>は、時間にしておよそ一分ほどの、互いの記憶を探りながらの言葉の交換によって判明し、そのやりとりは、エドマンドが何気なく語った一言を聞きつけた放棄・父による、エドマンドへの問いをきっかけにして始まり、更には、アル・父は、不遜とも思えるエドマンドの言動に対して怒り心頭状態にあったという、前段の流れがあったからだ。前述の<中身>とは、この流れのことをさしていている、即ち、顔を背けあっていたふたりが、第三者のたった一言で、互いの顔を直視しあい、わずか一分足らずで父子の再会を実感し、その感慨にふける間もなく息子が殺される、という。この肝心要をうまく伝えられているかどうか、正直なところ、まったく自信がない。ああ、またまた前置きが長くなってしまった。
早速(?)、「月ノ光」に移ろう。これも「ひまわり」と同様、今回の上演では二回に分けている。最初に演じられるのは原本(!)の冒頭部で、K(カール)が長々と語る夢の話が終わったところから始まる10分ほど。これが全体の冒頭部に置かれ、もうひとつは原本の最後のシーンで、全体もこのシーンの終わりとともに幕がおりることになっている。1995年にJIS企画で初演。もうあれから四半世紀近くが過ぎたのかと思うと感慨もひとしおだが、JIS企画なるものが、どういう経緯を経て出来上がったのか、その記憶がおぼろになっている。J(銃一郎)とS(佐野史郎)がI(愛)で結ばれているという駄洒落な命名は、出来上がったあとに思いついたもので …。
佐野さんと一緒に仕事をしたのは、セゾン劇場で上演された「榎本武揚」(1991年)が初めてだったのだが、その前に、黒木和雄さんの映画「TOMORROW/明日」(1988年公開)でシナリオ担当と主演俳優で(間接的に?)仕事をしており(それ以前にも、彼が秘法の舞台監督をやっていた小川と同じジャズ喫茶(?)で一緒に働いていた関係で、何度かわたしの芝居を見ていたということもあったのだが、その頃は言葉を交わすどころかその存在さえ知らず)、それから「東京大仏心中」(1992年)に出演してもらい、一緒にまた仕事をという話はこの後。わたしのおぼろな記憶では、佐野さんの古い知り合いで、その時は某俳優のマネージャーをされていた女性からいただいたのだった。むろん、最初の話は佐野さんと彼女担当の俳優某氏の共演が前提にあったのだが、いつしか某氏はわたしたちの視界から外れ、企画は彼女の手から離れて、森崎事務所の方へ。JIS企画なるものは、その時点で誕生したのだ。では、「月ノ光」はどういう経緯で出来上がったのかと言うと、「佐野さんありき」が出発点になっていて …(続きは次回に)