竹内銃一郎のキノG語録

終わるもんか!  傑作「たかが世界の終わり」を見て2018.06.01

TVのHDDが満杯間近なので今週の月曜から、録画しておいた映画をせっせと見ては消し見ては消ししている。その中で、これは消せないと思った傑作が2本。ケン・ローチの「わたしはダニエル・ブレイク」とグザヴィエ・ドランという、わたしにとっては知らぬ存ぜぬの監督作品「たかが世界の終わり」だ。ケンさんは今年81歳でグザヴィエは29歳、祖父さんと孫くらいの年齢差があるふたりだが、両作ともに主人公の男性に<死の影が忍び寄る>という設定がなされている。

「たかが世界の~」は、全編の8割強を主要人物5人の顔の接写が占めている、これまで見たことのない驚異の映画だ。話は単純である。アラサーのゲイらしき男性(劇作家)が、12年ぶりに実家に帰る。彼の帰還を待っていた、母、妹、兄、兄嫁。この5人が時に激しく、時に哀し気に言葉を交わしあう。なぜ家に帰って来たのか、なぜ今まで帰らなかったのか。主人公は問われて言葉にせんとするが、それが叶わず、飛行機の時間だからと帰っていく。これだけの話だが、ひとりひとりの人物設定、交わされる言葉(競り符!)、前述したような顔の接写につぐ接写、そしてなにより、これらに応える俳優陣のしのぎを削りあう高度の演技力が、わたしをTVの前に釘付けにしたのだ。いや、正確に記せば、過度な緊張感から逃れるために、上映時間100分の間に二度、トイレにかけこまざるを得なかったのだが。とにかく凄い俳優陣。みなどこかで見たことがあると思いながら見ていたが、外人の名前も顔も憶えられないわたしである、終わってネットで調べたら、ああ、彼か彼女かと、やっぱり見ていて。中でも、妹役のレア・セドゥは、わたしの大好きな「グランド・ブダペスト・ホテル」(監督W・アンダーソン)や「ロブスター」(監督・ヨルゴス・ランティモス)に出ていて、兄嫁役のマリオン・コティアールも「ロング・エンゲージリング」(監督・ジャン・ピエール・ロジャ)他で、何度もお目にかかっていた女優さんだった。主人公の劇作家を演じたギャスパー・ウリエルも同じ「ロング・E~」の主役を演じてましたがな。そして、母親役は、昔、ゴダールやトリュフォーの映画によく出ていたナタリー・バイ! こういうひとたちのお顔が入れ代わり立ち代わり、その表情を微妙に変えながら現れては消え、消えては現れ。接写だから、彼らの距離間がよく分からない。実際は離れているのに、まるでいまにも噛みつきそうな暴力的な空気が流れたり、逆に唇が相手の首筋に触れそうな、エロティックな空気を醸し出したり。全編なんともスリリング。誰やらの戯曲が原作らしいのだが、ヘボな演出家の手にかかったら、ただうるさいだけの鬱陶しい作品になりそうなのに、ここまでに仕上げる監督の才能、ただものではない。御年29歳か。なんてニクい奴。オッと、もう6月1日になってしまった。昨日の5月31日はクリント・イーストウッドの88回目の誕生日。彼もいまだ現役。そうです、年齢なんか問題じゃないのだ。

 

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