ひとは暴力に傾き、保身に走るいきものだ。2018.08.21
「ラストワルツ 改訂版」データ化、ようやく完結。先の「チュニジアの歌姫」同様、終了まで約一か月半を要した。てことは、3ヶ月で2本だから、一年で8本。残り30本として、全作データ化まであと4年かかるわけだ。うーん。そこまで集中力が持つかな?
録画しておいた、「映像の世紀プレミアム 難民 希望の旅路」と「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」を見る。ともに、終戦記念日関連のNHK制作ドキュメンタリーだ。両作ともに、おびただしい量の死体が映し出されていた。前者はアウシュビッツ犠牲者の山盛りの、後者は人型の炭にしか見えない黒焦げの …。当然のように胸が痛んだが、もっともショックを受けたのは、ドイツの敗戦が決まり、侵略したヨーロッパの国々に住んでいたドイツ難民が、故郷へ徒歩で帰る道すがら、侵略された国の人々に殴る蹴るの暴行を受けているシーン。殴られる側はまったくの無抵抗で、それは多分、罪を負わねばならぬと思っているからだろう。殴る方も、あんなに酷い目にあわされたのだから、これくらいは許されるはずだと、暴力を振るったのだろうが、見たところ、ともにフツーの市民で、そういう人々が殴り殴られているさまの酷さは、わたしの目には前述の死体の山の映像とほとんど同様の酷さと映った。殴る方は、対象個人と直接関係があったわけではなく、ただ自分たちの国や市民を蹂躙したドイツという国への憎悪が、名もなき個人に報復の暴力を振るわせたのだ。むろん多くのドイツ市民は、ナチスの暴走を止めるどころか、彼らに過剰とも思える賛意・賛同の後押しをしたはずだが、しかし、殴る側の少なからずは、ユダヤ排斥にはやはり賛意・賛同の後押しをしていたのではないか。おそらく、人間といういきものの根っこには、自らを暴力に駆り立てるなにかが眠っていて、正当化出来る理由さえ見つかれば、哀しいことに、誰もがその方向へと走るのだ。
「“悪魔の兵器” ~」は、アメリカの原爆製造に関わった科学者たちの映像と声を記録したもの。当初は、ナチスが原爆製造の準備をしている情報をキャッチし、アメリカは彼らに先んじないと大変なことになると、莫大な予算を計上し、国のトップレベルの科学者1200人を集めて、原爆の研究・製造へとひた走る。が、間もなく、ナチスは莫大な費用の捻出が難しくなって、断念したという情報が入る。けれども、ここでストップしたら、莫大な費用の無駄遣いとなって、国民の非難を浴びることになり、ひいては、原爆の研究・製造を指示した大統領、及び、それに関わった科学者たちが、トップの地位を失ってしまうという、彼らの個人的な事情から研究を続け、そして、原爆投下にまで …。米国人の大半はいまでも、日本の真珠湾攻撃の報復だとか、戦争を早く終わらせるためだったとか、あるいは、科学者たちの純粋な探求心の結果だ等々、広島・長崎への原爆投下の正当性を述べているようだが、実際のところ、関係者たちの地位や名誉を守るための<保身>が、数多の命を奪ったのだ。そう、ひとはきっかけさえ与えられれば暴力へと傾き、追いつめられると保身に走るいきものなのだ。上記の二本のドキュメンタリーを見て今更ながらこの事実を確認。もちろん、わたしだって例外ではない。ああ、胸が痛む。
「ラストワルツ」の主人公の教授は、言うなれば「達観」を自らの行動原理とする「高潔な人」だが、終盤になって、当初は密な関りを拒否していたはずの家族たち(=侵入者)が、屋敷から出て行ってしまうかも知れない事態となり、それを阻止するために、元・公安刑事のスズキに、家族たちの父であるかってのハイジャック犯が日本に帰ってきていることを、警察に通報するよう指示する。つまり、達観・高潔のひとが孤独を恐れ、保身に走ってしまうという醜い姿をさらけ出すのだ。そして、教授の著書のファンだったスズキから、「このゲスが!」と罵声を浴びせられる。ここで、毎度お馴染みの偶然を。このスズキ役を演じた松尾(スズキ)くんが、今朝見た「“悪魔の兵器” ~」のナレータをやっていたのです。びっくり。
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