竹内銃一郎のキノG語録

マイナーの輝き  鈴木翁二の「灯(ひ)」にうろたえる。2018.09.04

まずは前回の補足。わたしは別に「マイナー」を見下しているわけではない。そもそも、わたしが長く関わってきた、いわゆる「小劇場演劇」は、まさに小=マイナーで、その前はアングラ、即ち、地上では御法度と言われるような代物だったのから。自分及び所属してる組織がマイナーであるという自覚=冷静さが必要だと言っているのだ。大きな成果をあげて、みんなも応援してくれている、だからわたしはメジャーなんだと思う勘違いが、トップの間違った言動を生み、周囲がそれを黙認することに直結しているのだと、そういう主張である。マスコミも同様。世間の片隅の出来事というスタンスで、例えば、何年か前にあった、田舎の町長のセクハラ問題と同程度に体操等を扱えば、それで充分なのだ。

さて、ここからが今回の本題。タイトルにある「灯(ひ)」は、「貧乏まんが」(ちくま文庫)に収められた一篇。この本には、<貧乏>をテーマに描かれた作品が17本収められているが、中で面白いと思ったのは、つげ義春の「リアリズムの宿」と赤塚不二夫の「トキワ荘物語」、水木しげるの「貧乏神」、それに、以前から名前は知っていたが、作品に接するのはこれが初めての、鈴木翁二の「灯」の4本。「トキワ荘物語」は、他の赤塚作品同様、ひとコマひとコマすべてに邪気が溢れていて、主人公の赤塚を始め登場する人々が互いに支えあう様がなんとも微笑ましく、笑ってしまう。つげと水木の作品はともに、かなりすさんだ貧乏を描いているが、物語の中身の深刻さと表層に漂う巧まざるユーモアとのギャップの大きさが、さらに笑いを誘うのである。さすが巨匠!

主人公は推定アラサーの男。遠くに船が浮かんでいる、雨降りの海岸の通りを、傘を差した主人公の後ろ姿が最初のひとコマで、次に、右手指から下がっている鍵に、「あんたのおかげかな」という彼のひとりごとが添えられたコマ、ひとコマ置いて、彼は道路の左側に建つ食堂前で立ち止まり、そこで働いている「ひさえさん」という女性と一言二言。そして、「自分がこんなにもてちゃうのも、あんたのおかげだ」と再度、右手指先の鍵に語りかけ、ここから、彼の十数年にわたる回想(妄想も含まれた)が始まる。詳細ははぶくが、わずか5頁足らずで、彼の貧困との苦闘の10数年を鮮やかに描き切る作家の技量に驚く。こんな離れ業、マンガにしか出来ない。というか、マンガでしか出来ない<表現>を自家薬籠中にしているかに思える、この作家の凄みにたじろいでしまった。言うまでもなく。マンガの登場人物は動かないし、読者は、登場人物たちが語る台詞を聞くことは出来ない。動かせない、聞かせられないという<不自由>が、マンガが描く世界に豊饒さをもたらしていることに、改めて気づかされたのだ。つげ義春と同時期に水木しげるのアシスタントをやっていたからだろうか、コマ割りがつげに似ているが、自分をモデルにしたと思われる登場人物に対して、クールに突き放して描き、そのことから生じる笑いが、鈴木翁二のこの作品にはないが、その代わりにと言っていいのかどうか、「灯」には、つげの作品にはない、涙涙のラストシーンが用意されていて、そのことにわたしは意表を突かれ、思わずうろたえてしまったのであった。

上記の4作は、いずれも読者に対する媚びへつらいがない。タイトルの「マイナーの輝き」とは、このことを指している。

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