老後の初心2018.09.22
「モナ美」のデータ化、S4まで書き終える。全部でシーンは7まであるが、「竹内銃一郎集成」でS6を、「独演会」でS7を上演したので、すでにこのふたつのデータ化は済んでおり、残るはS5のみだから、ゴールまでもう少しだが。データ化を済ませた直近2作「チュニジアの歌姫」「ラストワルツ」に比べると、「モナ美」の改訂は難しい。辛辣な長台詞のぶつけ合いを基調とする2作は、登場人物間の上下関係も対立点も明確で、相撲に例えれば、立ち合いの際の当たる角度や、四つに組んだ時のまわしを取る位置の変更・修正等々、改訂の対象と方法は比較的見つけ出しやすいのだが、ふたりの長い長い友情物語である「モナ美」は、日常会話を基調としていて、言うなれば子どものじゃんけん風。終盤近くになされる互いの対立点の提示まで、その都度勝負の結果は出るものの、表面上はとるに足らないこととして時間は流れていくのだ。このさりげなさの改訂が難しいのである。下手に手を入れると、作為が立ちそうで …
昨日見た、P・アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」(1999 公開)には驚いた。ゲイ、レズ、未婚の母、エイズ感染者、有名絵画の贋作者、認知症患者、等々、登場人物は多種多様だが、社会的マイノリティであること、即ち、市民社会からは侮蔑・疎外の対象とされる点において共通項を持っているのだ。その内容を簡単に記せば、そんな彼らによる「死と再生」の物語ということになろうか。しかし、驚いたのはそこではない。物語の進行・展開の方法が常識はずれでフツーではないのだ。とにかく、初対面であるはずのふたりが、挨拶もないまま瞬く間に親密になり、互いに全身全霊で相手のために尽くしあい、それがひとを変えながら次々と繰り返されて、ついには感動の結末に辿り着くのだ。うん? これだけでは分かってもらえそうもないが。いやとにかく、秒速で親密な関係を築き上げる、現実にはもちろん、虚構の世界でもありえない、そのベラボーなスピード感にわたしは痺れ、感動したのである。
「初心忘るべからず」とは世阿弥が記した有名なことばだが、これは「初めた頃の初々しい気持ちを忘れてはいけない」という意味ではなく、初という漢字は、「衣」偏と「刀」から出来ており、もとの意味は、衣=布地を刀(鋏)で裁つ、つまり、まっさらな生地に、はじめて刀(鋏)を入れることを示し、「初心~」とは「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな」という意味なのだ。世阿弥は「老後の初心」ということも言っていて、どんな年齢になっても自分自身を裁ち切り、新たなステージに上がる勇気が必要だと。以上は「能」(安田登 著 新潮新書)よりの引用。
自作のデータ化は、これまでも繰り返し書いたことだが、自作をより多くのひとに読んでもらいたい、より多くのひとに上演してもらいたいという切なる願望から始めたことだが、作業を進めていく中で明らかになったことは、旧作の改訂を重ねる中で、作家としてもっと腕を上げたい、(アルモドバルが成し遂げたような)これまで誰も分け入ったことのない未踏の地まで、足を踏み入れたいという野望を自分はいまだに抱えているのだという、驚くべき事実である。