竹内銃一郎のキノG語録

ナイス・バッチン! M・Mの「スリー・ビルボード」を見る2018.11.22

物語は、アメリカ南部の田舎町を走るハイウェイ沿いに、スリー・ビルボード(=3枚の大看板)が立てられたことをきっかけに始動する。広告主は半年ほど前に娘をレイプされて殺された母親で、遅々として進まない事件捜査の責任者=警察署長を激しくなじる内容のもの。ここから物語は、加速を重ねながら右に左に曲がりつつ折れつつ、思わぬ方向へと進んでいくのだが、詳細はネットで、あるいは、わたしのようにTVで見るか、レンタル店でDVD・Blu-rayを借りてご確認していただくことにして。

M・Mことマーティン・マクドナーのシナリオが素晴らしい。全体の半分以上は暴力シーンによって占められているが、登場人物の人物設定、配置、物語の進行、台詞等々、作品のすべてに作者の繊細な神経が行きわたっている、まるで暴力系に転向した向田邦子だ。徒に権威を振りかざすろくでなしの中年男かと思われた警察署長が、物語が後半に入ると、まったく別の顔を見せ始め、彼の部下の、反左翼で差別主義者でなにかと言えば暴力を振るうアホな警官が、自殺した署長からの手紙に心打たれて、まったくの別人になってしまうとか、ただそれだけならばおよそリアリティを欠いた設定になるのだが、彼らの過激に過ぎる変貌とともに、物語の流れも大きく波打ちながら方向が変わるという仕掛けになっていて、つまり、あれやこれやを見事に連動させながら物語を進行させていくので、ちょっと待てよと声をかける隙さえないのだ。過激さでは最上位と思われるヒロイン(母親)が、前述の心変わりした元・警官を同乗させて車を走らせるラストシーンがまた素晴らしい。映画の冒頭に立てられ、途中で反対派(ヒロインの元・夫)に燃やされて、しかし、心ある人々の援助によって再建された3枚の立て看板の脇を車が走り去る時、ここに至るまでの幸不幸様々な出来事・シーンが甦り、そして、車が走っていく先には、ヒロインの前途多難を暗示するような、暗い夜空が広がっているのである。

シナリオの素晴らしさは、監督を中心とした現場の高度な技量がなければ分からない。M・Mは当代トップクラスの世界的な劇作家・演出家だが映画監督としても同様で(珍しい!)、それは単に俳優の使い方が上手いとかそんな程度のレベルではなく、この映画のために集まったスタッフは誰をとっても(おそらく)一流で、そういう彼らの能力を存分に引き出しているように思われ、そこが映画監督として凄いところだと思う。キャスティングがいいんですよ。ヒロインを演じるフランシス・マクドナーは、コーエン兄弟の映画でお馴染みの現代の名優だが、わたしが知る彼女は稀代のコメディエンヌで、その不細工な顔を(失礼!)有効な道具として活用していたが、この映画では一変、敵を激しく罵る時も、警察署を燃やすために火炎瓶(?)を次々と放り投げる時でさえ、ほとんど無表情! 署長、アホな警官役を演じるふたりも負けず劣らずの名優だが、ヒロインを密かに恋する小男、おじさんだかおばさんだか見ただけでは判別がつかない、警官の母親等々、こういうちょっとした脇役のキャスティングが冴えに冴えていて。それから、アクション関係がまた文字通り「ナイス・バッチン!」なのだ。とりわけ、 殴られたり、銃で撃たれたりした時の血の吹き出し方が実にリアルで、いや、リアルを超えてるな、あれは。わたしは気が小さいから、こういうシーンが過激に過ぎると目をつぶるか背けるかしてしまうのだが、この映画では、アッと何度も声を出してしまったが、その度に、目を見張ってしまったのだった。

と書きながら、見た時の興奮を蘇らせているわたしだが、一方で、この映画のお陰でその素晴らしさがさらに一層はっきりくっきりと確認出来た映画が目の前でちらついている。それは …?

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