竹内銃一郎のキノG語録

連れて逃げてよ~ 1982年の思い出。2019.01.17

本日1月17日は、阪神淡路大震災があった日。24年前ということは亥年だったわけだ。その時わたし47歳。その頃は東京に住んでいたから、もちろんわたしにはなんの被害もなかったが、上空から撮られた、神戸の町のあちこちで火災が起きている映像は、今でもはっきり記憶に残っている。この年の2月に、JIS企画の第一作「月ノ光」の公演があり、大阪公演の宣伝のため、地震があった一週間後くらいに大阪に出かけ、旅公演が終わり東京に帰って一週間後くらいに地下鉄サリン事件があったのだ。大変な年だったのだと改めて思う。

昨日、松本くんと会って、今年10月に予定している<老若男女の二人芝居の二本立て>公演に関するあれこれを話し合う。「眠レ巴里」の出演者3人、めでたく決定。スタッフの人選も今月末にはすべてまとまる気配。更に、ただいま進行中の熊本での公演をはじめ、旅公演の具体についても話し合う。ふたりともかなり酩酊していたせいもあろうが、あそこも出来る、あそこもあそこもと様々な地名が飛びかい、こりゃ旅回り一座だとふたりで大笑い。残念ながら「眠レ巴里」との二本立て興行は費用がかさむので、あっちでもこっちでもというわけにはいかないが、「今は昔、~」のみなら、役者2人と、スタッフは舞台監督ともうひとりいればよく、舞台は特別な装置などなくても、椅子が20~30脚あればそれでOKという、これは実に身軽な芝居なのである。このブログの読者の方々の中に、「うちでもやって」という方がおられたら、ひと声かけて下さいまし。日程的に問題なければ、実現にむけて前向きに考えますので。旅一座といえば …

本日、わたしのいちばん好きなTVドラマ、「淋しいのはおまえだけじゃない」を見る。CSのTBSチャンネル2で16日17日の二日で全13話が放映されることを知った去年の暮れから、今日のこの日を待ちかねていた。そうです、このドラマ、大衆演劇を専門とする旅一座の話なのです。といっても、これがなんとも訳ありで。詳しくは、13話全部見てから改めて …。ああ、いまも放映しているが、録画しているからダイジョウビ。今日のお昼に見たのは、1、2話のみ。一気に全部見るのは、なんだかもったいないような気がして。やっぱり、細部はほとんど忘れていたが、見ているうちにどんどん記憶が甦ってきて …。いやあ、市川森一のシナリオが実に実にスンバラシータ! 第一回目は「一本刀土俵入り」、二回目は「任侠吉良の仁吉(荒神山)」というように、多くは大衆演劇の、時に歌舞伎の演目のタイトルが毎回つけられていて、話の冒頭でその回のタイトル演目のヤマ場を、西田敏行、木の実ナナ、梅沢富美男等、ドラマの主要人物たちが演じ、そして、その冒頭の場面をなぞるよう仕上げられたラストを目指して、物語は進んでいくのだ。これを超絶技巧と呼ばずして、なにをそう呼ぶのか。そしてこれまた奇しくも。西田敏行はサラ金の取り立て屋なのだが、「眠レ巴里」にも最後に、同様のサラ金取り立て屋が登場するのだ。

「淋しいのは~」が、放映された1982年の6~8月は、当時わたしが主宰していた劇団秘法零番館が危機的状況にあった頃。5月末から6月初めにかけて上演を予定していた「夢みる、力」のホンがまったく書けず、公演を一ヶ月ほど延期したのだが、それでもダメで、結局、以前に「斜光社」で上演した「ドッペルゲンガー殺人事件」を上演することにしたのだった。延期・演目変更のたびに、新しいチラシを作り、各方面に謝罪してまわった劇団員たちには、ほんとにご迷惑をかけちまった。それから、名古屋、大阪の旅公演の劇場及び関係者諸兄にも。うーん。久しぶりにあの頃を思い出して冷や汗が …。

わたし思わず落涙してしまった、第二回目の最後は、ちあきなおみが「連れて逃げてよ~」と歌う「矢切の渡し」をバックに、男性に扮した木の実ナナと女性に扮した梅沢がふたりで踊るシーンで終わるのだが、彼らが立っていた舞台、篠原演芸場は、先の「ドッペルゲンガー~」を上演した映画館・十条銀杏座の目と鼻の先にあって、劇団員たちは梅沢劇団の芝居をよく見に行っていた。また、「今は昔、~」の初演は翌年1983年の9月。うーん、いろいろ絡みますなあ。

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