竹内銃一郎のキノG語録

はつ雪や 消ゆればぞ又 草の露 by蕪村2019.01.11

ほんの三年ほど前までは、12時前に床に就くことなどほとんどなかったが、一年ほど前からか、1時2時まで起きていることはまったくといっていいほどなくなった。だからだろう、起床時間が徐々に早くなり、去年の10月くらいからか、7時前に起きることが珍しくなくなった。今朝6時、タバコをすうべくベランダに出たら、まだ仄暗い中、カラスが飛んでいた。数羽で飛んでいるものもいれば、一羽で飛んでいるのも。餌探しに行くのだろうか。朝の寒空、頑張れ、孤独なカラスよ。

一昨日は雪が降っていた。最初は小雨かと思い、小粒なので塩が振ってるようだと思い、ふわふら浮いてるのもあったから泡かよと思い、いや、これは雪だと確信するまで数秒かかった。

学生時代は昼頃起きて、食事をし、映画を見に出かけ、時にはバイトをし、遅い晩飯を食べ、それから深夜2時3時まで読書。それとあまり違わないライフスタイルが、近畿大学で教鞭をとることになった2000年まで、30年近く続いた。だから、9時から始まる一限目の授業に行くのが辛くてしんどくて。しかし、2時間以上の時間をかけて通学してくる学生もいたのです。顔は覚えているけれど名前は忘れてしまった男子学生。彼は毎朝6時に起きて、滋賀県から弁当を二つ持って通っているのだと言っていた。ひとつは朝食として電車の中で食べ、もうひとつは昼食用であったが、昼休みはダンスの練習で食べる時間がとれず、授業終了後も9時過ぎまでダンスの練習をするのが通常で、だから、二つ目の弁当は帰りの車中で食べるのだと言っていた。この話は、戯曲創作法の授業で、個人指導のときに聞かせてもらったのだが、そんな忙しい中で、戯曲を書く時間をどのように捻りだしていたのか。書くものが結構面白かったこともあり、それを訊ねたら、自分でもよく分りませんと笑いながら答えた。懐かしい。

勤務して最初の数年は、一年生対象の「劇作家論」の講義も担当していて、最初の講義の時にはいつも、内外の劇作家それぞれ10数名の名前を記し、その作家の名前を知っていたら○をつけ、その作家の作品を観たこと、読んだことがあったら、その作品名を記せ、というアンケートをとっていた。名を挙げたのは、もちろん、わたしの好きな劇作家に限らず、これくらいは知っていないと …、というものだったが、大半の作家、例えば、海外で言えばチェーホフやT・ウィリアムズ、国内で言えば、鶴屋南北、唐十郎、別役実、つかこうへい、という有名どころでも、認知率は20~30%ほど。三谷幸喜は70~80%で、ほぼ100%がふたり。ひとりは教科書で知ったらしい井上ひさしさんで、もうひとりはシェイクスピア。100%に「ほぼ」がついているのは、シェイクスピアの名を知らない学生が数年でひとりだけいたのである。よくもまあ舞台芸術専攻になんか入って来たものだとわたしを呆れさせた学生が、誰あろう、4年間、ダンスに精を出し面白い戯曲も書いていた、前述の彼なのだ。ほんと、ひとは分からない。目の前に落ちてくる小雪を、小雪だと認知することにさえ数秒かかったのだから、彼・彼女が何者であるかを見定めるためには、それなりの時間が必要なのだ、という話である。いや、見定めたと思っても、また時間とともに変わってしまうのが、人間=動物なのだが。

「竹内銃一郎集成」を上演していた時だから、去年の春先だったろうか、大阪の日本橋だか難波だかの交差点で、彼に声をかけられた。会うのは10年ぶりくらいになるのか。彼だとすぐに分かったのは、前述のこともあり、見た目にも特徴があるからだった。いまはなにをしてるの? と聞いたら、バイトしながら役者になるべくあれこれを …と。お互いにゆっくり出来る時間もなかったので、数分の立ち話で別れた。いまこの時間、どこでなにをしているのだろう? 確か、まだ滋賀の実家にいると言っていたから、車中で弁当でも食べているのだろうか。ああいう生真面目な子には幸せな人生を。今度どこかの神社に出かけたら、お願いしておこう。

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