竹内銃一郎のキノG語録

ハコさん! 彼女の歌声はこころの暗闇を照らすのだ。2019.03.17

このブログ、しばらくお留守にしていたが、まさか前回分から2週間も経っているとは。ああ、時のたつのは早い。10月公演の準備があれこれあり、それはそれなりに忙しいのだが、なにより、このところの花粉の攻撃のすさまじさにすっかり気力が失われ。そう、1000字ほどの文章を書くには、それなりに気力・体力が必要なのだ。

花粉の攻撃にまいってしまうのは、目が痒い、くしゃみが止まらない等々もあるのだが、熟睡させてくれないことである。歳をとると夜中に目が覚めて …、とはよく聞くところだが、通常のわたしは、床について6時間ほどは目覚めない。しかし、この二週間ほどは、二時間ほどで目が覚めて、目が覚めたらしばらく眠れず、眠ったと思ったらまた二時間足らずで目が覚めて …。

昨日は少額ではあったが久しぶりに競馬で勝利し、それで気分良くしたこともあったのだが、夜12時過ぎまでYouTubeで音楽を聴いていた。最初は、映画「心と体と」で聴いて感銘した、ローラ・マーリングの「what He wrote」を繰り返し流し、それから、テオ・アンゲロプロス作品の音楽の大半を担当しているエレニ・カラインドルーの曲を聴き、次に、大好きなちあきなおみ、藤圭子の曲を検索して聴いていたら、山崎ハコの名前が出てくる。彼女、「圭子の夢は夜ひらく」を歌っていたのだ。そこからは、ハコさんの曲を次々と。

若い頃は、お金がなかったこともあるが、レコードやCDなどほとんど買ったことはなかった。そんなわたしがハコさんの最初のアルバム「飛・び・ま・す」を買ったのは、ラジオの深夜放送で流された彼女の歌声に、尋常ならざる衝撃を受けたからだ。ウィキによると、このアルバムが発売されたのは1975年10月。わたしの実質的処女戯曲「少年巨人」が書かれたのも同じ年の暮れ。もう半世紀近く前のことだから事実関係は闇の中だが、もしかしたら、彼女の歌声・アルバムが戯曲創作の意欲をかきたてたのかも知れない。因みに、彼女はわたしより10歳年下だから18歳デヴューということになる。そのことに改めて驚く。

P・瀧や新井某が反社会的な行為をしたということで、非難の嵐を浴びている。もちろん、彼らの行為を肯定するつもりはないが、しかし、優れた表現者は例外なく、社会の常識の枠を疎ましく思っているか、理不尽にもその枠から追われた者か、どちらかである。その意味において、なんのためらいもなく媚態を示すことによって、読者・観客・視聴者等の関心を誘わんとする輩は、表現者の資格(?)を欠いた、ただの下司なのだ。そのことを、とことん暗い、でもなぜかこころ洗われるハコさんの歌声を久しぶりに聴いて、改めて確認した次第。おそらく、彼女の歌声は、聴くものの心の深層まで届くからだろう。お陰で(?)、今日も競馬で勝っちゃた。

彼女が「きょうだい心中」という歌を歌っていることを初めて知る。10月の公演で上演する「眠レ、巴里」は、姉妹が餓死してしまうという話で、この偶然の一致(?)に驚き、聴いてみると、いやまたこれが凄い曲で。

そうだ、いま思い出した。一度だけ、彼女と会ったことがあるのだ。木場のリサイタル(?)に彼女がゲストで出演。その時に持参した彼女のアルバムにサインをして貰ったのだが、あのアルバムはいまどこに …?

 

 

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