竹内銃一郎のキノG語録

好ましきは、動物・子ども・素人2019.03.06

今日、久しぶりに見たW・アンダーソンの「ムーンライズキングダム」にまたまた感動。ともに孤独な少年少女が、偶然出会ってすぐに惹かれあい、数か月(?)の文通期間を経てふたりで駆け落ちの旅を敢行。一度は捕まってしまうが、それまで少年を「おかしな奴」と毛嫌いしていたボーイスカウトの仲間たちが、一転、ふたりの協力者になってしまうあたりが感動の頂点。笑いあり涙あり、とにかく作品全体に一部の隙もないことに感服。

先月からスターチャンネルがウエスの特集を組んでいて、彼の長編すべてを放映。それを知って急きょスターCと契約して、昨日は未見だった「天才マックスの世界」を見る。ウエスがまだ二十代のころの作品。こちらも変わった少年が主人公。仕上がり具合は「ムーンライズ~」に叶わないが、15歳の主人公が三十路の先生に恋をし、少年と友達づきあいをしている大会社のオーナー(もちろんオッサン)と彼女が恋愛関係に陥る三角関係となって …、というお話。年齢や社会的地位等、当然あってしかるべき格差・落差を無視しての、主要人物たちの<対等関係>は、両作ともども彼の作品すべてに共通するところで、そこがとてもいい。いや、対等の付き合いは動物にも及んでいる。

去年から今年にかけて、このブログで取り上げた佳品・傑作映画の多くには分かりやすい共通点があり、それは動物もしくは子ども・素人が作品の中で重要な役割を担っていることだ。「パターソン」では主人公の家の飼い犬が、先ごろ取り上げた「心と体と」では、夢に出てくる雄雌二頭の鹿と、そして、主人公の中年男を演じたのは俳優ではなく、ハンガリーでは著名な編集者=素人俳優であり、「ブランカとギター弾き」の主役は10歳ほどの少女で、相手役の犬を連れてるギター弾きの爺さんは、俳優ではなく盲目のストリートミュージシャンなのだ。

「女王陛下のお気に入り」にも動物が多々登場する。まずは、アビゲイルを乗せた馬車をひく馬が登場する冒頭のシーンから始まり、それから間もなく、競争をする10数羽のガチョウたちのシーンがあって笑わせ、女王の部屋で飼われている17匹(羽)の兎たちの登場あたりから、物語は佳境に入る。女王はいまに至るまで、流産、死産、そして生まれて間もなく亡くなった、17人の子どもがいて、兎はその亡くなった子どもたちの代わりであることが明らかになると、女王の虚しい生がひしひしと伝わり、彼女をめぐるふたりの女性のあからさまな奪い合いに、満足至極の表情を浮かべる女王には、部屋のあちこちで戯れる兎たち(=亡くなった子どもたち)の可愛さも手伝って、切なさをさえ感じてしまう。

かといって、わたしは格別の動物好き・子供好きというわけではない。もちろん、嫌いではないが。「子供と動物にはかなわない」とは昔から、名優と呼ばれた俳優たちが決まって口にしたフレーズだが、ここにきて、その言葉にことさらに真実味を覚えるのは、おそらく、これまでも繰り返し書いてきたように、TVに登場する誰もが、俳優、芸人に限らず、素人衆までもが、日常においても、競って媚態を振りまいていて(とりわけ関西人!)、その醜悪さへの辟易が最大の理由かと思われる。

ウエスやランティモスが動物・子供を多用する理由はもちろん知らないが、わたしと同様、何事においても、初々しさこそ一番という認識が前提になっているのでは? と。

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