すべてが期待以上よ。 C・イーストウッド「運び屋」を見る2019.03.29
一週間前には蕾も定かに見えなかった鴨川沿いの桜が、五条大橋から七条大橋にかけて見事に咲いている。ああ、今年も春がやって来た。気がつくと3月ももう終わり。いけない。C・Eの「運び屋」を見るのをすっかり忘れてた。ネットで調べたら、京都の各館今日が最終日、慌てて三条にある映画館まで出かける。徒歩約30分。
久しぶりに見る俳優・クリント・イーストウッド。確か自分でもこれで俳優はおしまい、と語っていた「グラン・トリノ」から10年。1930年5月31日生まれだから、もうじき89歳である。大丈夫か? と心配していたらやっぱり。腰が折れ、歩く足元も危うい。90歳の老人役だとはいえ、大スターがこんなカッコ悪い姿を見せるべきではないのではないかと思って最初は見ていたが、物語が進むにつれてそんなことはすっかり忘れ。いや、面白いのなんの。演じる役は麻薬の運び屋。当然のように、車を走らせるシーンがこれでもかとばかり繰り返されるが、自らの反・社会的行為をいったいどう思っているのか、いつも楽し気にハンドルを握って、ラジオから流れる曲に合わせ歌っているのだ、90歳の老人がですよ。その様は、目下のわたしのお気に入りTV番組、「新日本風土記」や「よーいドン」の「人間国宝さん」に登場するお年寄りたちととてもよく似ている。やっぱりイーストウッドは凄い! それだけではない。家に帰って劇場で買ったパンフレットを読んだら、そこには驚くべき事実が。先に、「腰が折れ、足元も危うく」と書いたのは大間違いで、実際の氏は、90間近の老人のくせに「カンガルーのように跳ぶ」というのだ。老人のように見えたのは、演技だったのだ! 参った。創作者の大半は年齢を重ねていくと、真面目な方向へ、枯れた静かな世界へと傾くものだが、氏の今回の作品は、これまでにないような、非人道的かつ反社会的な老人を主人公としている。だって、老人のくせに、若い娼婦相手に、それもふたり同時にセックスするんですよ。そこがいい。真の意味で彼は不死身なんですよ。
と、ここまで書いて、少し休憩をとってTVをつけると、ショーケンが亡くなったという驚きのニュースが。この10年ほど聞きなれぬ病気と闘っていたらしい。底知れぬクリント氏に力を得て、「ワシもやったるでぇ」と気合が入ったのに、これは悲しすぎる、淋しすぎる。文章を続けられそうもないので、今日はこれまで。
あ、今回のタイトルは、主人公の奥さんが亡くなったとき、葬式の時であったか、彼女のひととなりを紹介するときに誰やらが語った彼女の口癖である。