竹内銃一郎のキノG語録

C・イーストウッドを追いかける、どこまで?2019.04.02

吹く風が冷たいこの数日。20度に達するかという暖かな日もあったというのに。暑さ寒さも彼岸までという言葉とは裏腹に、お彼岸を過ぎた頃から暑さ寒さの差が激しくなっている。世界は一筋縄ではいかない好例である。昨日は、京都にやって来たサク&トシ(姪の息子ふたり)と一緒にあちこち10数キロ歩いて、終着地点は京都鉄道博物館。兄貴の方が、鉄道関係のことならなんでも知ってる、驚異の鉄ちゃんなのだ。そこで3時間。広い広い博物館内を歩き回り、計20キロ超歩く。フー。

前回、ショーケンの死にショックを受け、途中でやめてしまった「運び屋」の続きを以下に。書きたかったのは俳優・イーストウッド氏のこと。スターにつきもののオーラがまるで感じられないことに驚く。まあ、そもそもオーラなんてものが実際に存在するのかどうか、ほんとにそんなものが見えるのか甚だ疑問ではあるが。しかし、去年の暮れであったか、40年ほど前に起きた「開成高校生殺人事件」をもとにしたTVドラマを見たのだが、その冒頭、息子を殺した父親が妻と共に死のうとするが死にきれず、東京駅に戻ってくるシーンで、出勤時間のためサラリーマン諸氏でごった返す中、父親役の石橋蓮司が、取り立てて目立つ格好をしているわけでもないのに、ロングショットであるにもかかわらずはっきりそれと分かり、その一般人とは明らかに違う見た目に「さすが!」と感心したのだったが、イーストウッド氏はその逆で、一般の通行人(役)とほとんど区別がつかないのだ。おそらく<オーラを消す術>を心得ているのだろう。こんな俳優が他にいるのだろうか、ほとんどの俳優・芸人はいかに目立つかで悪戦苦闘をしているというのに。

彼の役柄は、花(デイリリー)の栽培・販売の仕事一途で家族・家庭を顧みず、結果、ひとり住まいを選んだ男。しかしここにきて、ネット通販を武器とする同業者に追い越されて借金がかさみ、命のよりどころともいうべき農園は借金の担保にとられ、生きていくことが困難になったところへ、思わぬところから「運び屋」の仕事が舞い込む。なにを運ぶのかといえば、麻薬・コカイン。最初は金のため、農園を奪い返すためという名目があっての<違法行為>だったはずだが、そのうち、そんなヤバイ仕事をまるで楽しんでいるかのように。それはそうだろう、農園は取り戻し、古い友人たちを集めてパーティを開いたり、孫の娘の学費を出したりと、まあ、「ひと様のために」という大義名分も加わったから、ヤバイ仕事にさらに本腰を入れる。最後はおさまるべきべきところ、即ち、警察に捕まって罪に服することになるのだが、それはほんの付け足しで。家族を捨て、若い娼婦を抱き、差別的な言動を繰り返す等々、あるまじき反社会的行為を平然となす老人の生きざまがカッコいい、とわたしは思った。そして、こんな悪党を演じてなお「爽快!」と思わせるイーストウッド氏は凄すぎる、と。以前、イーストウッド氏の年齢まで自分も創作活動を続けたいと書いたことがあるが、この快作を見て断念。だって彼は間もなく89歳になるのだ。てことは、わたしはあと20年近く活動を続けなきゃいけないことに。そんなの無理無理。

今朝、今年の10月の公演の制作をお願いしているお二人と会って、作戦会議。チラシに「あと3年、あと5作」というわたしの<散り際計画>を載せるべきと提案され、なるほどと頷く。

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