チトサビシイ 橋本治の遺作を読む2019.04.19
名前の上に「追悼」の二文字が乗っかった橋本治の「父権制の崩壊あるいは指導者はもう来ない」(朝日新書)を読む。表紙中央に飲み屋の大将を思わせる氏の破顔の写真があり、その左脇に「バカばかりになった日本人への遺言」と書かれているが、これはむろん、バカな編集者が考えたものだろう。読後の感想を一言でまとめると、「それがどうした?」となる。わたしを覆っている重い気分も手伝っているのだろうが。例によって例の如く、同じ内容を手を変え品を変え何度も繰り返す手法を使っているが、それを退屈に思うのは、これまでのように、あらぬ方向へと向かわないからだ。堂々巡りどころか、言葉を重ねるたびにどんどん論理が平板なものに、要するに萎んでいく。小池百合子から始まって、「モリカケ問題」だの「日大アメフト事件」や元日本ボクシング連盟終身会長だの、少し前までワイドショーを連日盛り上げた諸々を取り上げているが、それがどうにも、それらに出演していた「専門家」諸氏らが語っていた内容とさほどの違いがあるわけでもなく。野間文学賞を受賞した、氏のとりあえず最後の小説「草薙の剣」も、残念ながら同様の印象であった。似たような話がだらだらと続くのだ。体力の衰えが原因だろうか? だとしたら、衰えた体力から世界がどう見えるかを書いてもらいたかったが。「『人情紙風船』が遺作ではチトサビシイ」と戦地でのノートにしたためたのは、映画監督・中山貞雄だが、橋本氏は、そして島さんは、どのような思いを抱えて死に赴いたのだろう。
と書いて、ふと、山中貞雄は京都生まれだが、京都のいったいどこで生まれ育ったのだろうと思い、彼の甥で同じく映画監督の加藤泰の遺作「山中貞雄」を本棚から久しぶりに取り出し、頁を繰ってみると、なんと、これまで何度もそのあたりを歩いている高倉通と松原通の交差するあたりで、さらに、通っていた小学校も、わが住まいから歩いて10分ほどのところにある豊国神社のすぐ近くだった。というわけで、今日の散歩は、豊国神社から松原通を通って高倉通から四条を超え、三条まで足を伸ばして、お気に入りの和菓子屋「餅月」で水無月を購入。それを家へ帰って食べ、少し気分ほっこり。頑張らなくっちゃ。