竹内銃一郎のキノG語録

あれもこれもみんな「グッドバイ」2019.04.30

今日は平成最後の日。だからなに? 年号が変わるからといって社会・世界が変わるわけではない。にもかかわらずマスコミそして少なからずの一般市民が、あたかも<大事件>が起きる(起きた)とでもいうように大騒ぎしているのは、なんともウザイ。昨日のTVニュースで見たが、菅官房長官の似顔を基にしたお菓子を売りだしたり、フツーのひと(?)がそれを真似て手作りしてるなんて、明らかにどうかしている。TV・ラジオは持ち時間を、新聞・雑誌は規定の頁を埋めなければならないから、絶好のネタだと飛びつくのは分かるが、一般市民は何故にそんなにお騒ぎめされる? と批判めいたことを書きつつ、わたしも年号替わりをネタに以下を。

これを機会に、これまでのわたしの舞台作品を昭和・平成で分けてみた。自分では自分を「昭和のひと」と思っていたが、昭和にかかわった舞台が約30本、平成の作品はなんとその倍の60数本。そりゃそうだ。初めて本格的に芝居に関わったのは、昭和41年(1976)の「少年巨人」が最初で、アララ、いま気がついた、昭和の最後、1988年の作品は「ひまわり」だが、これをもって秘法零番館も幕を閉じたのだ。計13年で30余本。だから、昭和活動期の倍以上の年数があった平成における本数が、60本超になるのは当然のことだろう。平成初年度の「プラスワン」(桃の会)から始まって、去年の「竹内銃一郎集成連続公演」が最後。そうか。「秘法」は昭和の終わりとともに終わって、「キノG-7」の本格的スタートは、令和初年に切られるのか。なんか出来過ぎてるな。

それにしても。平成の終わりとともに、<惜しいひと>が次々となんと多く亡くなったことか。橋本治、ショーケンについてはこのブログでも触れたが、他にも、劇画原作で一世を風靡した小池一夫。氏とは一度だけ一緒に仕事をしたことがある。モンキー・パンチは、氏の「ルパン三世」を原作としたTVアニメが、ゴールデンタイムに放映された最初の回のシナリオを担当したのは、わが師・太和屋竺だったからそれなりの思い入れがあり。織本順吉。氏はわたしがシナリオを担当し、佐野さん監督の「カラオケ」に出演された。ケーシー高峰。わたしが大好きな芸人さんだが俳優としても破格で、NHKTVドラマ「新・事件 わが歌は花いちもんめ」の演技は凄かった。ブルーノ・ガンツ。世界的名優で、アンゲロプロスの「永遠と一日」「エレニへの帰郷」、ヴェンダースの「アメリカの友人」「ベルリン・天使の詩」等々、忘れられない彼の出演作は枚挙にいとまないが、ここではあまり知られてない傑作を挙げておこう。「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」。これまた忘れられない映画の一本「シェルブールの雨傘」の音楽を担当したM・ルグランも亡くなった。そして、島さん!

あと一時間半ほどで平成が終わる。あれもこれもみんな「さようなら」だ。

 

 

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