竹内銃一郎のキノG語録

久しぶりに「エレニの旅」と再会し、その<不動の動>に圧倒されるの巻。 2019.05.19

木曜日、京都府立植物園に出かける。今回は二度目で、初めて行ったのは3月末。鮮やかな色様々のチューリップがひときわ目を引いたが、今回は薔薇・芍薬に目を奪われる。ほんの二、三年前までは動植物にほとんど関心はなかったのに、植物園に出かけるなんていったいどうしたことか。最近はTVで「ワイルドライフ」等の動物モノも欠かさず見ている。これもいったい …?

久しぶりに見たアンゲロプロスの「エレニの旅」に感銘、いや、圧倒される。

赤軍の侵入によってロシアの地を追われ、その時、両親を亡くした主人公・エレニ(当時三歳)が、同じ街に住んでいた人々と共に、祖国・ギリシャにやって来た1919年から始まって、彼女の夫(アレクシス)と双子の息子とを亡くした、第二次世界大戦の終わりとともに終わる。簡単に物語をまとめればこういうことになるのだが、ことはそう易々と運ばない。エレニ等が第二の故郷にやって来たと思う間もなく、時は10年の余が過ぎて、10代半ばになったエレナは、舟に乗って現れるのだが、彼女はなんと隣の村でひそかに双子の子を出産しているのだ。その驚くべき事実が明らかになったと思う間もなく、時は数年が経過して、彼女は、育ての父ともいうべき老人との結婚式当日、双子の父であるアレクシスとともに、逃げるように<愛しき地>を飛び出す。通常の映画ならば、「10年後」と字幕が出たり、あるいは台詞によって時間経過を明らかにするのだが、そういう通常の優しい=易しい手続きが一切ない。この<ありえない時間の飛躍>とともに、アンゲロプロスの映画の柱になっているのが「長回し」だが、それが時に<演劇的>とも思わせるのだ。エレニとともに第二の故郷を捨てたアレクシスは子供の頃からアコーディオンの名手で、食うためにバンドに入ることになるのだが、そのバンドの連中との出会いのシーンがそれ。

場所はいまは使われていない古くて広い倉庫のようなところ。そこでバンドリーダー(?)の男の指示に従って、アレクシスがアコーディオンを弾き始めると、それに誘われたように、右から左から前から後ろから、様々な楽器を弾きながら次々と男たちが現れ、まるでダンスのような合奏が始まるのだ。結構長いこんなシーンがカット割りなく続く、その楽しさに心は踊るのだが、一方で、そのうちなにかよろしくない出来事が起こるのではないかとハラハラもさせ。難解でありながらサスペンスフル。これぞアンゲロプロスの映画術。この後にエレニ夫婦を次々と襲う様々な出来事は、第二次世界大戦下のギリシャに関する知識が皆無に近いわたしには、正確な理解は困難だが、しかしそもそも、彼の映画はすべて、どこまでが夢・想像の世界で、どこから現実の出来事なのか判然としない世界を描いているのだ。それにしても。

先に挙げた倉庫のシーンが代表するように、カメラの前に、人々が現れ、行き交い、そして立ち去る、その空間と時間の奏でるリズムの心地よさを味合わせながら、内戦下、久しぶりに再会したバンド仲間10人ほどが横一列に並んで、危険そこのけに楽しい演奏を始めて、これは戦争の終わりを予告するシーンかと思った途端に、銃弾が飛び交ってリーダーが殺され、一気に悲惨一色に染められて …。静から動へ、幸から不幸へ、自由自在なその<不動の動>的語り口は、芝居の演出の範としたいところ。

 

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