竹内銃一郎のキノG語録

<気持ち>より上位に置くべきものは?  稽古日誌⑩2019.09.10

一昨日未明に関東地方を襲った(らしい)強烈な台風。昨日の朝、その荒れ狂う豪雨暴風の映像を見たくてTV各局のニュースを見たのだが、強烈さを如実に物語る映像皆無。しかし、夜、稽古が終わって家に帰り、TVをつけると読売TVのニュースでは見たいと思っていた暴風雨の映像がバッチリ。うん? 朝は映像が出揃ってなかった? そんなバカな。それにしても。なんだ? このところの猛暑は。神のみぞ知る?

とうとう本番初日まで一ヶ月を切った。一週間ほど前までは、「今は昔、~」大丈夫か? と不安と苛立ちがつのっていたのだが、ここにきて「眠レ~」ともどもゴールが見えてきて、冷静に稽古のペース配分が出来るようになった。すなわち、どの箇所に稽古の時間を割けばいいのかがはっきりしてきたのである。よく考えれば、昔は稽古入り前に台本が完成するなどということは稀で、大半は本番の一週間二週間前まで台本は未完成だったのだ、てことは、本番まで残り一ヶ月の時点では台本は最初の数頁しかなかったはずで、そのことを考えれば、いくら台詞が入らないからと焦ることもなかったのだ。いやまあ、今回はどこまでその能力を信じていいのか分からない、<俳優のわたし>が、唯一最大の不安の種であったのだが。

前回にも書いたが、p27までほぼ完全に台詞を入れたが、ここからが俳優としてのわたしの正念場。劇中、全部で9本の電話がかかってきてそのすべてにわたしが対応するのだが、そのうちの5本はこれからかかってくる(正確に記せば、10本20本の電話がかかってくるのだが、9本目以降は対応を拒否するのだ)。電話への対応の台詞は、それぞれ長短はあるのだが、平均すると頁の3分の1の長さがあり、時間で言うと約1分、つまり5分分の台詞を頭の中に叩き込まなければいけない。俳優としてのキャリアはほぼほぼゼロのわたしにしたら、かなりの大仕事がまだ残っている計算になるのだが、ここにきて結構スルスルと頭に入るようになっている。おそらく慣れがそうさせているのだろう。それにしても。初演時の台本がどの時点で完成に至ったのかは定かでないが、男1を演じた豊川、短時間でよくこんな多量の台詞を入れたものだと改めて感心、逆に、演出としては二度目だった、木場P公演時に男1役のすまさんが、台詞覚えに苦労したのも当然と言えば当然だったのだと、いまにして思う。

「眠レ、~」は「今は昔、~」よりも50メートルくらい先を走っているので、かなり微細な指示を出している。

エピローグを含め5つのシーンがあるのだが、それぞれ色合いが異なっている。その異なりの核になっているのは、姉妹の距離間の違いである。むろん、その違いは見た目にはさほどのものではない、当然である、彼女らの行動範囲は、外部との交通を遮断した、密閉した一部屋に限られているのだから。しかし、対面状態、背を向け合っている状態、一方のみが相手に背を向けた状態、対面してはいるが、言葉は相手にではなく自分自身に向けられた独り言である状態、等々、選択肢は無数にあって、その中からそのやりとりのベストのものを選ばなければならない。それも、いつも決められた同じ選択をすればいいというものではなく、そこに至るまでの流れがあり、昨日のベストの選択肢が今日もベストであるとは限らない、いや、違ってしかるべきなのだ。演出からのサジェスチョンはあくまでアプローチの仕方、思考(=試行)の原点であって、俳優はその都度その都度、自分でベストチョイスをしなければならない、サッカー、野球等のスポーツと同じである。昨日は、自分の台詞、行為を自分で決めるのではなく、相手の行為、たとえば、相手がお茶碗を手にしたそのタイミングで台詞を切り出すとか、逆にいえば、常に相手にきっかけのサインを出すつもりで台詞・行為をなすように、そう、気持ちを込めるなどということより、こっちの方に神経を使ってほしいのだ、という話をしたのだった。

明日11日には「今は昔、~」の、明後日12日には「眠レ、~」のそれぞれ公開稽古があります。ご覧になりたい方はぜひどうぞ。時間場所等の詳細はキノG-7のHPをご覧下さい。

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