俳優修業 稽古日誌⑪2019.09.17
11日、12日の公開稽古で、「事件!」と呼びたくなるほどの驚くべき出来事があった。わたしたちの稽古を見るために、わざわざ埼玉から大阪まで泊りがけで来てくれた御仁がいたのだ。竹林! 彼は、今回上演する「眠レ、巴里」の初演に星川役で出演、それから「みず色の空、そら色の水」の再演、さいたま芸術劇場のこけら落としで上演した「ハロー、グッバイ」の初演と、わたしの作・演出作品に計3本出演した、わたし好みの若い俳優だった。しかし、当時在籍していた東京乾電池をゆえあって退団し、それ以来約25年間、演劇とはすっぱり手を切っていたのだ、それが! 実はこの5月、乾電池が上演した「眠レ、~」を見に行った際、柄本さんから、「竹林がこの芝居の稽古を見に来てたんですよ」と聞いていて、久しぶりに彼の名を耳にしたのだが、まさか再会するとは。彼の演技は訥々としていて、受け狙いなど微塵も感じさせない初々しさと必死さがあり、そこがわたしにはとても魅力的だったのだ。
15日の「今は昔、~」の稽古は、4日前の公開稽古時が散々な出来だったので、かなり緊張して臨んだのだが、それが作用したのかどうか、順調な進行度合いを感じさせるものとなった。そう、そもそもわたしはフツーのひとに比べると、いささか緊張感を欠くところがある人間なのである。今回の本格的(?)舞台出演は29年ぶりになるのだが、初めての劇団、斜光社では、旗揚げの「少年巨人」、2作目の「カンナの兎」に出演し、3作目の「黄昏遠近法 夜空の口紅(ルージュ)」を最後に俳優活動にとりあえずピリオドをうった。やめた最大の理由は前述の、自分に「俳優に必要な緊張感の欠如」を感じたからだった。それを実感したのは、「カンナ~」の出番前、舞台裏に工事現場のように組まれた材木の上に立って控えていたのだが、ウトウトと眠ってしまい、もう少しで下に落ちそうになってしまったこと、そしてさらに決定的だったのは、「夜空の口紅」の本番の舞台となる新宿・歌舞伎町のビルの屋上を下見に行った際、わたしが登場する、数メートルの高さの電気室(?)に登ってそこの状態を確認後、階段を一段一段降りるのが面倒で中ほどから飛び降り、それほどの高さではなかったのだが、靴ではなくサンダルを履いていたため、着地した際に足首をねん挫し、踵の骨にもひびが入って、本番中も思うように動けなくなってしまって。本番を間近に控えて、こんな不注意なことをやってしまう輩は俳優として使えないとわたしは考え、自らに退場を宣告したのである。
緊張感の欠如は、飽きっぽい、面倒くさがりという性格の反映であり、結果、集中力の欠如につながる。以前に、「離見の見」などときいた風なことを書いたが、俳優としてのわたしがそんな上級の技など持っていようはずはなく、だからこそ「離見の見」的見地から指示を与えてくれる演出家にいてほしいのだが、それもいない今回だからこそ、いつになく見学者の多かった公開稽古の際には力みかえってしまって、それが散々な出来につながったのだ、むろん、力みと緊張感はなんの関係もない、いや、緊張感の欠如が力みを生んだのだ。15日の「今は昔、~」の稽古が上昇を感じさせたのは、公開稽古時の失敗がわたしに緊張感を覚えさせたからで、おそらくそれは、この間の稽古のない4日間における<冷静な反省>が生じさせたものであろう。
「眠レ、~」の昨日の稽古では、時間にして5分弱のワンシーンにしか登場しない、星川役の吉川くんに稽古時間の半分を割いた。以前にも書いたが、彼はとても真面目な性格の持ち主なのだが、彼の演技は結局のところ、わたしに言われたことをただただ忠実に実行しようとするだけで、というより、世間に流布する定番的演技からなかなか脱却できず、自らの考え・生き方の現在が一向に見えてこない味気無さ、それをなんとかしようと執拗に、出すべき音への注意を繰り返す。フレーズの第一音を強く出すと展開が出来なくなって尻すぼみになるから、二音目にポイントを置け、とか。序破急でも起承転結でもいいから、自分なりの構成を考えろ、考えたら、それぞれの部位もまた序破急等に構成し、各部位の二音目に力を込めて …、等々。
上記の事柄はもちろん、俳優である自分にも課した課題でもある。精進精進。