竹内銃一郎のキノG語録

絶望的なハッピーエンドに涙ぐむ。 2019.11.04

もう11月! 2か月経つと来年になるなんて。そう、「木霊公演」の最後の名古屋公演が終わってまだ一週間なのに、なんだか遠い日の出来事のようで …。みんな思い出になっていく。いかん、忘れないうちに今回公演の記録と記憶を書いておこう。

熊本、名古屋の公演はともに定員の80%を集客し、興行的にはまずまずの結果となった。とりわけ名古屋には、ふたりの姉の家族合計8人が勢揃いし、高校2年時の担任だった加藤先生とは50年ぶりの再会をし、何度か前に、わたしを演劇の世界に引っ張り込んだひととして紹介した小澤さん、近大卒業生の三上(旧姓)さん、吉川さん、高坂、大浦さん等々とも久しぶりの再会、更には、島さんの本「舞台美術」に収められたすべての写真の撮影者である益永さん、さいたま芸術劇場制作の舞台・他の照明を担当してくれた岩品さん等々も東京から来てくれて、舞台終了後の挨拶が、まあ、忙しかったこと。いや、もちろんこれは嬉しい悲鳴です。多くの方々から、「面白かった」「竹内さんがこんなに芝居が出来るなんて」などとお褒めのお言葉をいただいたが、うーん、やっぱり悔いが残る、これまで何度も書いてきたが、演出に時間をとる余裕がなくて …。大阪公演にも北海道から九州まで全国津々浦々から来ていただいたのだが、最多の集客が予想されていた12日が台風襲来で最小集客数になったこともあって、こっちは定員の50%の集客でイタタな結果に。

今回の公演ではっきりしたことは、次回からはいかに高年齢層の方々に情報を流せばよいかを考えるべきだな、と。熊本・名古屋の客席の平均年齢は、おそらく60歳前後と思われるからだ、大阪は40歳くらい? わたし(が作る芝居)など、若いひと達にとっては、興味の対象から明らかに外れているのだ、きっと。まあ、わたしの方だって、若いひとの好む芝居(二次元半とか?)にはまったく興味がないのだから、どっちもどっちなんですが。

この三ヶ月ほど稽古・本番に時間をとられていたせいで、ほとんど見ることが出来なかった「録画した映画」を、ポツポツ見ている、これという作品がなくてイライラしていたが、昨日、「バードマンあるいは(無知がもたらした奇跡)」を4年ぶりに再見し、感動する。それは、マイケル・キートン演じる男の設定が現在のわたしと重なるところがあるためかも知れない。彼はその昔、「バードマン」シリーズで知らないひとなどひとりもいないほどの人気俳優だったが(ここは重なってはおりません、念のため)、そのシリーズが終わってかなりの年数が経ったいまは、かっての栄光は地に落ちている、そこで起死回生を図って、レイモンド・カーヴァーの短編小説を自ら脚色し、主演・演出をも引き受け、演劇の世界に乗り出すことにする(似ているのはここんところ)。当然のように、初の舞台が彼に苦闘を強いて …、というのがこの映画のおおまかなストーリー。一方に、彼がかって演じたバードマンとの対話を主とする妄想的世界が描かれ、一方に、クスリとの関係を断ち切るためにもがく彼の娘との関係を軸にした、リアルな家族問題が描かれ、妄想と現実が混然一体となった実に見事な、魅惑的な世界が提示されている。そうだ、彼も(わたしと同様)パンツ一丁になるのだ、ちょっとした自分のミスで、パンツ一丁で街を歩く羽目に陥るのだ、それがおかしく切なくて。出演俳優も文句なし。M・キートンは言うまでもなく。W・アンダーソンの「ムーンライズキングダム」「グランドブダペストホテル」では気弱な男を好演していたエドワード・ノートンは、ここではうって変わって、芝居の中でキートン演じる男の恋敵となる無礼な性的不能者男を演じてgood! そして、キートンの娘を演じるエマ・ストーン! 「女王陛下のお気に入り」では、したたかな女性を実にしたたかに演じていたが、この映画では、傷つきやすいのになんとか踏ん張って前を向いているけなげな娘を演じている、凄い。そして、

負傷して病院のベッドにいるはずの父親が見当たらず、もしやと思って窓から空を見上げてにこやかに笑う、その顔のなんと可愛いこと! 彼女なくして、この映画の<絶望的なハッピーエンド>はありえなかったろう。

 

 

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