犬も歩けば、驚き桃の木に当たる?2019.11.14
手持無沙汰な日々。これはこれで結構なことだけれど。20℃を若干下回るこのところの日中はお散歩には最適、住まいから7,8キロまでは東西南北ほぼ制覇してしまったので(?)、もう少し足を伸ばすことにして、一昨日は梅小路公園から東寺に向かい、それから復路をいつものように京都駅方面にではなく、南大門を出て南に向かう。あちこちに児童公園がいくつもあり、声をあげて走り回っている子どもたちに顔がほころぶ。あと一週間もすればどこも鮮やかな紅葉に包まれるだろう。それから近鉄の東寺駅方面に向かうと、なんと駅前に映画館が! 京都みなみ会館。今年の夏に再始動したと入口のところに書いてあったが、ネットで検索してみると去年の3月に閉館したとあり、うーん、京都に住み始めて6年ほど経っているというのに、こんなところに映画館があったなんて知らなかったなあ。上映予定を見るとチャラチャラした作品は一本とてなく、はたして、こういうところにどれだけの観客がやって来るのか、その確認も含めてこれから月イチを目途にここに来ることに決める。
というわけで。今日の午前中、みなみ会館へソクーロフの「ファザー、サン」を見に行く。笑いの要素が薄い映画や芝居はあまり好みではないわたしだから、ソクーロフの映画は基本、興味の外にあるのだが、前田英樹との共著「ソクーロフとの対話」(河出書房新社)には大いなる刺激を受けているので、これまで何本か見ている。
冒頭の字幕をバックに艶めかしい吐息が聴こえ、そしてスクリーンには、もつれあう裸のふたりのクローズアップが。男女の性愛シーンかと思ったら、年齢差のある男同士であることが明らかにされて驚き、さらに、ふたりが父と息子であることが分かってさらに驚く。この驚きはゆるむことなくしばらく続き、息子が見たらしい夢のシーンを挟んで、彼が通っている軍人になるための学校(?)に父が授業風景を見にやって来て、さらに、かって息子の恋人であったらしい女性が窓越しに現れ、それぞれの顔のアップのみをつないで3者の微妙な関係と面倒な内面を浮き彫りにする10分ほどが、ワタクシ的にはこの映画のハイライト。分かったような分からないような台詞のやりとり、そして、映し出される画面の大半がくすんだ夕焼けのような色をしているせいもあったのだろう、映画の中頃から寝ては起き、起きては寝ての繰り返し。ただしかし、現在の世の中にはびこる映画や芝居の大半は、苛立って寝ることさえままならないことを思えば、これはそれなりの作品、前述した<ワタクシ的にはハイライト>の部分は、これまであまり見たことのない刺激的なものだったのだから。
わたしも含めて8人の観客の平均年齢は、推定74歳(うち、女性2人)。ま、お昼前にフツーのサラリーマンや真面目な学生たちが映画館なんかに来られるはずもないから、このメンツは当然とも言えようが、しかし、世の中の大半の人はソクーロフなんて知らないはずだし、見たところ皆、スーパーなどでよく見かけるフツーの高齢者で、失礼ながら、インテリっぽいところなど微塵もなく …、うーん、映画の謎よりこっちの方が難解だな。さらに。映画が終わって入ったトイレが、びっくりするほど綺麗なことにも驚いたが、もっと驚いたのは、これから当館で上映される映画のチラシの中に、なんと城定秀夫氏の新作「性の劇薬」が! まさに、犬も歩けば棒に当たるとはこのことだ。そう言えば。
ソクーロフの「太陽」にも出ていた佐野さん、年末に放映されるダウンタウンのなんとかって番組の収録中に二ヶ月の大怪我を負ったとか。棒に当たっちゃったのかな? 大事ならぬ小事であらんことを。