「無計画」と便所こおろぎ 「パラサイト ~」再見2020.01.31
録画しておいた「ポン・ジュノ&是枝裕和」の対談を見る。60分のうち7割強は是枝氏の退屈なお喋り。こうなったのは是枝氏がお喋りだからというより、ポン氏が次から次へと是枝作品への質問と賞賛を投げかけたからである。ポン氏の真意は分からないが、氏はおそらくわたしなどとは違って、年長者には(相手が誰であれ)敬意をもって対応できる<良識人>なのだろう、だから「パラサイト ~」のような<破格な>映画を作れるのだ。
昨日、「パラサイト ~」再見。前回の桂川とは違って、今回は繁華街の新京極にある映画館だったからか、館内は8割の入り、まずそれに驚く。そうだ、驚いたといえば。一昨日、斜光社の演出を担当していた和田から届いたはがきに、長年、彼が松江で演出している「市民ミュージカル」公演が、去年はなんと5千人を超える観客を動員したと書かれていてビックリ! わたしなんぞ500人集めるのに汲々としてるというのに。いかん、また話が脇道に。
タイトルにある「無計画」とは、名優ソン・ガンホ(A級Mの細見くんに似ている!)演じる父親が、息子に語った言葉である。前回にも触れたように、物語の半ば過ぎ、半地下住まいの家族4人がIT関係の会社社長の留守宅に入り込み、飲めや歌えやをしているところに、この家の元・家政婦がちょっと中へ入れてと現れて、そこから当人たちにとっても、そして観客にとっても思いもよらぬ大惨事が発生、その後処理をどうするのかと息子に聞かれた父親は、「大丈夫、おれがなんとかする」と応えるのだが、翌日、再度息子が同様の問いを投げかけると父は、「無計画だ」と答え、さらに、「何事も計画通りにはいかない。無計画でことに当たれば、失敗もない」と言葉をつなぐ。そしてそれから、さらにさらに誰も想像だに出来なかった、さらなる大惨事が発生し …
シナリオは「映画」の設計図で、言うならば「計画書」である。この映画のシナリオは、これまた前回の繰り返しになるが、まことに緻密に書かれている。映画が始まって間もなく、半地下に住む家族4人に囲まれたテーブルに、便所こおろぎがやってきて、それを父親は「またきた」と舌打ち、と、窓の外に街の消毒のための噴霧車(公営?)がやってきて、「窓を閉めて!」という娘の悲鳴をさえぎって「部屋の中も消毒してもらえば、便所こおろぎがいなくなる」と父が言い終わる前に、室内は煙だらけになって、咳き込む家族たち。この時は、ただのギャグのネタにすぎないと思われたこの「便所こおろぎ」が、彼ら下層階級の象徴として、この後にも二度登場。あるいは。家に来た長男の友人が、「うちにいっぱいあって邪魔だから、貰ってもらえます?」と持ってきた、趣味的な縞模様の、一辺が30センチくらいありそうな三角形の石。この凡庸というほかないモノが後半の大惨事の凶器のひとつとなって …。この種の、多くのひとは見過ごし聞き流してしまいそうな、ありふれた台詞、行為、モノ等が、物語の重要な役割を担っているのだ。まさに、「無計画」の対極で出来上がっている極上のシナリオである。
まだ上映中なので、ストーリーのすべてを明らかにするのは慎まなければならないのだが …。前回もそして今回も、わたしを切なさでいっぱいにするのは、「大惨事」が起きて数か月後の、家族たちの「いま」が明らかにされる、ラストの10分弱である。冒頭から大惨事が始まるまで、物語は機知に富んだ台詞・会話で笑いとともに綴られるのだが、惨事となると阿鼻叫喚の連続で台詞らしい台詞はほぼ皆無、惨事に一応の決着がつけられると、それからは長男かあるいは父の静かな、というより沈んだ声のモノローグのみとなって会話はなくなる。妹は亡くなってしまうが、元ハンマー投げの選手だった頑健な母親は血まみれになったあの時がまるで嘘のように以前と変わらず、一度は再起不能かと思われた長男も蘇り、音信不通となった父を毎日のように探していていて、時々、小高い場所から惨事の現場となったあの<夢の豪邸>を見下ろしている。彼らの住まいだった半地下の窓とは違い、いまは元通りとなって見知らぬ誰かが所有する豪邸の、広い庭を臨むガラス窓は大きい。すると、雪が降る中、窓の上部に置かれた明かりが点いたり消えたりを繰り返している。それをぼんやり見ているうちに、ふと、あれは父が送っているモールス信号ではないかと長男は気づき、そして …。笑いから始まって狂気の世界に転換し、最後は切なさに包まれる。二度見てもこの<ありえない驚き>は変わらない。ありえない、信じられない傑作。