竹内銃一郎のキノG語録

あの柴部からメールが届く! 2020.03.18

昨日の夕方6時から、伏見桃山駅近くの飲み屋で松本くんと、今年11月に予定されている札幌での「今は昔、栄養映画館」上演に関する事柄、及び、それから約一週間後に東京での公演はどうか、などという話をしていて、気がついたら12時少し前、びっくりして電車に乗って家に帰る。6時間近く飲んでいたのだ、60半ばと70過ぎの爺ふたりが。家に着き、寝る前にメールのチェックをとPCを開くと、「活動の記憶 番外編」という、先月末にこのブログに書いたものと同じタイトルのメールが届いていて、見ると、それはナ、なんと「活動の記憶~」に登場した柴部からのもの! 「嘘でしょ?!」と思いながら読んでいると、数行読んだだけでなんだかこみ上げてくるものがあり …。

中身が凄いのだ。会ったことはもちろん、手紙もメールも電話だってしたことがない彼の音信不通の50年間が書かれていて。大学卒業後、東京で数年サラリーマンをした後、会社を起こし、77年の正月、富士山頂で突風に煽られて体が宙に舞って、8人の登山者のうち7名が亡くなり、彼も右脚を切断! 片足になったのにもかかわらず、日常生活になんら支障はないらしく(!)、次々に会社を起こして、東日本大震災の前年に福島の会津若松に引越して …。まるで漫画の主人公のような<信じられない>人生がそこにあり。彼のメールの返信にも書いたのだが、改めて考えてみると、彼はわたしより一学年下だから柄本さんや木場さんの同級生で(昨日ふと気づいたのだが、うちの奥さんとも!)だから紛れもなく爺なのだが、わたしの頭の中には、小柄で陽気でチャーミングな少年の彼しかいなくて、あの柴部がこんな波乱万丈の人生を送っているのかと驚いたのだが、その一方で、いかにもあの柴部らしい痛快人生だと感激もして。

有朋自遠方来、不亦楽乎。

 

一覧