竹内銃一郎のキノG語録

志村けんが静かに逝ってしまった。2020.03.31

志村けんが亡くなった。治療体制は最高クラスのものだったはずなのに。信じられない。

それでもわたしには、新型コロナウイルスの脅威をどうにもリアルに感じられない。リアルじゃないからこそ、感染防御に神経を注ぐのが馬鹿々々しくて、だから予定していた6月公演を延期したのだ。いかにどのように感染が広がり、どこまで感染者数・死者数が膨れ上がると医療体制は崩壊するのか等々、それ等が分からないから<脅威>を実感できないのだ、多分。例えば、東京や大阪のように人口密度が高い大都市は、人口が10万にも満たない地方都市に比べ数十倍の危険度があり、だから例えば、一日40人以上の感染者が出たということは、十日後には1000人以上、その十日後には数万人の感染者が出ても不思議ではない、というような考えられ得る最大数値を提示してくれたら、誰もがもう少し脅威をリアルに感じられるのだが。

柄本さんと会った日の翌日だから先週の水曜日、志村けんがかなり重篤状態にあるらしいことをヤフーNで知って、いま考えると不吉な予感でもしたのかもしれない、夜、YouTubeで志村・柄本のコントを何本か見て笑い転げた。ツイッターにも書いたが、「屋台のおでん屋」(正しくは「おでん屋の屋台」)のおかしさは格別だ。

静かな街の片隅に店を構えるおでん屋の屋台が舞台だが、志村に感心したのは、徹底して<受け>にまわってるところだ。酒を飲みおでんを頬張っていた客の柄本さんが、ボソッと「あ、そうだ」と呟く。と、おでん屋の志村は「?」と柄本さんを見るだけでなにも言わない。すると、柄本さんが「いけねえ」、「あちゃー」など独り言を連発すると、志村は「どうかしましたか?」と訊ねるが、柄本さんは「いやいや …」と質問に答えず、そしてさらに、柄本さんは、両手で拍手めいたことをしたり、鼻で笑ったり、泣き出したり。それに対して志村は、「なにかあったんですか?」「どうしたんですか?」等々、遠慮がちに質問する。よくあるコントなら、志村の役は、漫才で言えばツッコミだから、「いい加減にしろ!」などと、もう少し不快感・怒りを前面に押し出していいはずだがあくまで控えめ、笑いを取るのは柄本さんにお任せして、という感じなのだ、それがいい。野球のバッテリーに例えれば、志村はノーサインでどんな球でもOKの知的な名キャッチャーで、だから柄本さんも、直球・変化球を自在に操ることが出来るのだ、ふたりはまさに黄金バッテリー!

「アイーン!」「だっふんだあ!」「変なおじさん」等々、多くの人が知っているギャグの持ち主の「笑いの名人」、というのが志村に対する一般的な評価だが、わたし的には、前に出て笑いをとるべく派手なギャグを繰り出すよりも、志村はもう少し控えめで渋くて、ちょっとした物言い・仕種で、クスリと笑わせるような立ち位置にいた方がベターな芸人・俳優だったように思う。

志村はコロナ感染が報じられてから10日あまりで、静かに言葉のひとつも残さず亡くなってしまったその<舞台からの去り方>は、いかにも前述の志村風のような気がして …。合掌。

 

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