ぐったりと落ちる雨に顔貸してやる。(by天野忠)2020.04.03
日に日に拡大しているコロナ感染被害の終わりが見えない。不安と言えば、来年1月末に予定している公演が出来るかどうかくらいだが、なんともやり切れない気分が。こんな気分を抱えながらの日々がこんなに長く続くのは、多分、生まれて初めての経験だ。怖くもない。だから、毎日あちこち散歩に出かけていて、今日は初めて長岡京まで足を延ばした(もちろん、電車です)。車内はもちろん、長岡京天満宮もひとはまばらで。淋しい。
そんな中で、ひと時のやすらぎを与えてくれた本を3冊読了。「文藝別冊 総特集 いがらしみきお」、天野忠の「耳たぶに吹く風」(編集工房ノア・刊)、杉浦茂の「ドロンちび丸」(ペップ出版・刊)。いずれも一ヶ月ほど前に、京都駅構内に仮設された古本屋で購入したものである。
「眠レ、巴里」で、いがらしみきおの「さばおり劇場」の中に収められている「きみはきみの辞典を持っているか」の一部を、「あたま山心中」で、天野忠の詩「遊園地にて」を、それぞれ引用させていただいている。このブログの何回か前のタイトル「健康の置き土産は老醜」も、「耳たぶ~」からの抜き書きである。
「ペン先で神に触れる」というサブタイトルが付いている「いがらしみきお」には、冒頭に置かれた「人は死ぬのを知りながら」というタイトルの漫画(かな?)に続いて、彼が自らの半生を語る「2万字のインタヴュー」が。父親や学校の同級生や同じ職場の同僚たちからの執拗なイジメと、彼らとのケンカに明け暮れた日々が、その中身の大半である。小学校3or4年生の時に、温泉旅館のプールの飛び込み台から飛び込んで、その時に耳の中に水が入ってそれ以来難聴に …というのも驚くべき事実で、それもイジメの理由になったらしいのだが、にもかかわらず(?)、明るくて生意気だったというのにはもっと驚く。驚いたと言えば、天野忠が高校時代(京都市立第一商校)、あの山中貞雄(映画監督)と「生涯の親友の同窓生」だったというのにも。
「耳たぶ~」は、目次に「古いノートから」と「自筆年譜」とあり、また巻末には、著者が亡くなって丁度一年後の「1994年10月28日発行」とあるから、誰かが著者の「古いノート」から、これはと思う言葉・文章を選んで一冊の本にまとめたものだろう。選ばれた204コの言葉・文章のの中には、著者が自分以外の誰かが書いた言葉・文章を書き写したものもある。どれにも笑いあり、切なさあり。二つ三つ引用しておこう。
おじいさんの股引が干してある下で、乙女椿が一輪、大きくぽっかり咲いていた。見事な景色であった。国友村の祖母の家近く。
よい筆で上手に書かれた平仮名のような仕草でねころぶ人。
世界中の海の水がインクであっても、私達の悲しみと苦しみとを書き尽くすことは出来ないでしょう。(十四歳のアウシュビッツで殺されたユダヤ少年の書きおき、朝日夕刊七月某日)
いがらしと天野はとても似ている。前述したように、いがらしは10歳くらいから難聴で、天野も子供の頃から「身体虚弱で偏屈病(?)」を抱えていて、ともに勉強は嫌いだったが読書好き、生の苦痛をユーモアとともに差し出すところも。ところで杉浦茂は?
疲れたので、彼についてはまた改めて。