「檸檬」と「Z」、戯曲集2冊刊行 活動の記憶⑪2020.05.14
「活動の記憶」などというタイトルを掲げているが、書いていることの殆どは、公演のチラシや刊行した戯曲集の末尾に載せている初演の記録、あとがき等を参考にしていて、実際のところ大半の記憶はおぼろである。
斜光社解散決定後、これからどうするかについて、関係者一同集まって話し合いをし、続けたいという何人かのメンバーに反して、わたしは頑なに「出来ない」と言い続け、だったら竹内抜キでやるよ、と大木を中心にした何人かが、多分一度だけだったと思うけれど公演をした。あの話し合い、場所は大木の住まいだったことは覚えているが、そもそも何故彼が話し合いの場を提供し、そして、劇団員ではなく、わたし以上に芝居に興味などなかったはずの彼が公演まで …? (前回触れた、入れ代わり立ち代わりわたしに心変わりを促したメンバーは、そこには参加していない)。大木はその後、夢野史郎という筆名で、滝田洋二郎、佐藤寿保等、高名なピンク映画監督作品のシナリオを担当している。大木グループの舞台に出演し、彼がシナリオを書いた映画にも出演した山口鋭、いまどこでどうしているのだろう?
わたし自身はその出来に首を傾げる「悲惨な戦争」が、岸田戯曲賞受賞出来ずの悲惨な結果を知ったのは、80年の1月で、「少年巨人」「檸檬」「SF大畳談」「悲惨な戦争」の4本を収めた戯曲集「檸檬」(而立書房)が刊行されたのは5月。「あとがき」を書いたのは1月24日とあるから、きっと落選を知ってから「クソッ!」と思いつつ書いたのだろう。その「あとがき」には、次のようなことが書かれている。
ここに収められた四本は、(中略)≪いつか、どこかで、誰かが演ずる≫ことを念頭において書かれたものではなく、≪その日、その場所で、その役者たちが演ずる≫ことを前提にして書かれたものであり、そのため、現在(いま)これらを「固定的な作品」としてみると、完成度はさておき、その間の事情の分かりにくさが多々見うけられるけれども、書きかえは最小限にとどめた。もし、これらの<戯曲>に、ある普遍的な拡がりを持つ地平があるとすれば、それは、その時点における、わたしの極めて私的な<その間の事情>に対するこだわりを徹底化させたところにしかないと考えたからである。(後略)
その当時、岸田戯曲賞の選考委員のひとりだった井上ひさしさんは、朝日新聞の文芸時評を担当しておられて、そこでこの本を取り上げ、ありがたすぎるお褒めのお言葉をいただく。忘れられない思い出だ。
「夜空の口紅(ルージュ)」「ドッペルゲンガー殺人事件」「Z」が収められている戯曲集「Z」(三一書房)の刊行は、驚いたことに、1980年12月31日とある。なんで大晦日?! それと、なんで「夜空の~」上演時にはタイトルにあった「黄昏遠近法」をカットしてしまったのか? この本の「あとがき」も以下に。
(前略)わたし自身、この本の刊行を最後に、ヤクザ稼業から足を洗うつもりでいたので、旧作に属する二本には徹底的に手を入れ、特に、「ドッペルゲンガー殺人事件」は、殆ど新作と呼んでいいほど全面的に書き改めた。この一年、われながら情けなくなるほど右に左に心変わりし、結局、再びヤクザ稼業に舞い戻ることになったのだが、多分、これからはここに収められた「戯曲(ほん)」のように、「戯曲」を書くことはないだろう。演劇における虚構(ロマン)とは、あらかじめ文字の彼方に想定されるものではなく、演ずる者たちの身体のうちに宿るはずのものであると思うに至ったからである。(後略)
「Z」以外を旧作と書いているということは、多分、「Z」を書き上げてそんなに時間が経っていない頃に、この本の刊行は決まっていた、ということだろう。上記2冊ともに2刷も刊行されているのだが、戯曲集などおそらく一年に数冊出るか出ないかのこの国の演劇の現状を考えると、まるで夢のような話である。