竹内銃一郎のキノG語録

わたしの記憶は、溶けて、戸惑う? 活動の記憶⑰2020.06.16

先週の木曜、J・ジャームッシュの新作「デッド・ドント・ダイ」を見る。ゾンビ映画だというので、少し腰が引けていたのだが、案ずるより産むがやすしで、笑った笑った。こんなに笑った恐怖映画(?)は、メル・ブルックスの「ヤング・フランケンシュタイン」以来だ、多分。それにしても。これはツイッターでも書いたのだが、街の警官ふたりと女性の葬儀屋が、ピストル・日本刀でバッタバッタとゾンビをなぎ倒し首をはねるのだが、ゾンビの餌食になった市民が次々とゾンビになるので、ゾンビは増えるばかり、それはまるで、現在の新型コロナ感染状況を予言しているようで。やっぱりJ・Jはタダモノじゃない、と感心してしまった。それはそれとして。

今日、「活動の記憶⑯」にある間違いに気づいた。「~溶ける魚」上演時の劇団名は、「秘法壱番館」とあるが、いちは「壱」ではなく、別の「いちの字」だったのだ。でも、正しい「いち」がわたしのPCには出てこない。上部に「士」があって、その下にウ冠から点をとったわ冠、その下に「豆」の字なんですが。なんでこんな面倒な「いち」を選んだのだろう?

もうひとつ思い出したことが。以前、稽古場に二度、警官に踏み込まれたことを書き、でも、わたしはその現場にはいなかったと書き足した。なぜわたしは稽古場にいなかったのか。それを以下に。斜光社の、多分「檸檬」の稽古の時ではなかったか、演出の和田から、「竹ちゃんがいると役者たちはきみの反応ばかり気にして …」と言われ、それまでほぼ毎日(多分)、稽古場に顔を出していたのだが、それからは(多分)週一くらいに控えたからだ。もうひとつ。「あの大鴉、~」から、チラシには「演出補」として和泉静伍(=スギサク)の名があるのだが、彼は斜光社の「夜空の口紅」からずっと舞台監督をやっていて、秘法になっても実際の担当は「舞台監督」だったのだけれど、ゆくゆくは「演出」がしたいという彼の希望からそうしたのだ。それもあり、また、ホンの完成の遅れもあって、「~溶ける魚」の稽古当初は彼に演出を頼んでいたのだが、役者たちからスギサクの演出に対しての苦情が届き …。だから次回公演の「戸惑いの午后の惨事」のチラシには、彼は「舞台監督」となっているのかと思いきや、やっぱり「演出補」となっている。なぜ?

前述の「戸惑い ~」は、「弐番館」公演として、1981年10月31日~11月9日、下北沢「ザ・スズナリ」及び、11月14日~17日、名古屋の七つ寺共同スタジオで上演。これも改めて思い出したことだが、前者は土曜初日で月曜楽日、後者も土曜初日で火曜が楽日と、現在の概ねの公演が日曜を楽日としていることを思うと、奇手をうってたんだなと思う。なぜこうしたかと言えば、日曜楽日だと客が溢れて入りきれないことがあったからだ。前回まではおっさん3人のみだった出演者が、この公演には11名の出演者がいて、うち5人は若い女子。このあまりの変化と、前回公演からさほどの時間がなかったこともあって、台本完成が遅れに遅れ …。(以下は次回に)

 

 

 

 

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