竹内銃一郎のキノG語録

活動の記憶㉒   苦闘の80年代について②  別れの辛さ、厳しさが …?2020.10.28

「東京大仏心中」の改訂・データ化、完了。これで「竹内銃一郎集成」に収める23本のデータ化、すべて終わる。これは佐野さんと中川(安奈)さんの二人芝居である。中川さんは、このあと佐野さんと起ち上げたJIS企画の「ラストワルツ」「今宵かぎりは …」にも出演。大好きな女優さんだったが数年前に亡くなってしまい …(泣)

さて、前回の続きを。斜光社の2作目「カンナの兎」以降、秘法の4本目「戸惑い~」まで、わたしの全作品に出演していた小出が、「戸惑い~」再演を最後に退団。小出はいま考えても実に稀有な役者で、「溶ける魚」の笑い男がその最高例だが、彼の登場が場の空気をかき回し激変させ、あっという間に物語を思わぬ方向へ導くことが出来たのだ。「かきに赤い花咲く~」は、カフカの「変身」をベースにした作品だが、木場が父親、森川が母親、小林が変身した息子を、森永ひとみが妹を、羽子田杳子が息子の許嫁を演じ、この家族の家に、辻親八、山本宏文演じる写真屋がやって来て …という話に変えられている。ふたりの写真屋は原作の、一家の部屋を間借りし、この家をかき回す三人の男にあたる登場人物で、もしも小出がいれば彼にこの<かき回し役>をあて、原作とも出来上がったものともまったく違った、開いた口が塞がらないような破天荒なものに出来たはずだ。あっちからこっちから引用を重ね、それらをつなぐのに四苦八苦してドツボにはまったのは、小出=トリックスターの不在によるものだったのでは? といまにして思う。

「かきに赤い花咲く~」のチラシを見ていていま気がついた。初演の翌年、1984年2月に、新しいアトリエのこけら落としとしてこれを再演し、そのあと盛岡、仙台でも公演しているのだ。そうそう、高校3年の3学期に、「お前、映画の仕事がしたくて東京の大学に行くんだって? 実は俺も …」と言われて急に親しくなったノリアキが、テイチクだったかキングだったか、レコード会社の仙台支店に勤務していて、それで20年ぶりくらいに会ったのだ。彼は20歳前後のわたしに、もっとも大なる刺激・影響を与えた人物だった。思い出した、思い出した。彼の家に行ったら、学生時代から彼と付き合っていた奥さんがいて、息子がいて …。彼は今頃どこでなにを?

この作品の次に同じくアトリエでなされた秘法5番館の公演(84年6月)は、「食卓㊙法2 いただきまあす、別役実さん」。タイトルからも推察できようが、台本のすべては別役さんの作品の引用から成っている。以下はその公演チラシのキャッチコピーである。

<物語>を食べる。<伝説>を食べる。<風景>を食べる。<水漬く屍>を食べる。<あーぶく>を食べる。<虫たち>を食べる。<象>を食べる。<マッチ売りの少女>を食べる。食べる。食べる。毒を喰らわば皿まで、ビートルズをBGMに、食べる、食べる、延々と食べ続けるショウゲキの一時間半! コンナ芝居が 今マデアッタカ!?

上記から、引用した作品は「数字で書かれた物語 死のう団顛末記」「正午の伝説」「死体のある風景」「海ゆかば水漬く屍」「あーぶくたったにいたった」「虫たちの日」「象」「マッチ売りの少女」であろうことが分かるが、他にも「赤色エレジー」等があったような…。この作品を最後に舞台美術家の手塚俊一さん(天才!)ともお別れ。亡くなられたのである(泣)。舞台上に出演者7人分の冷蔵庫が置かれ、ラスト、その中の2台から出てきた木場と森川が演じる「海ゆかば~」のシーンの終わりとともに、閉じられていた5台の冷蔵庫の扉が開くと、中にはそれぞれ出演者たちがいて、みなストローでマックシェイクを。バックに流れる音楽はビートルズの「Let It Be」。このシーンの記憶だけは鮮明だ。この舞台装置も凄かったな。

改めて書くまでもないが、引用のみで作品を作り上げたのは、オリジナルでは書けないと思っていたからだ。同じ年の11~12月、秘法6番館公演として「恋愛日記」をアトリエで上演。計20ステージ。これはタイトルを借用したF・トリュフォーの映画とは重なるところがまったくないが、映画「心中天の網島」のシナリオ(篠田正浩・富岡多恵子・粟津潔共作)の一場面の引用から始まる。これまたまったく書けず。途中で暗礁に乗り上げ、にっちもさっちも行かなくなり、その辛さから逃げようと、住んでいたマンションのベランダから飛び降りようかと何度も思った。奥さんが同居していなければ、もしかしたらそうしていたかも。書き上がりは本番の2、3日前ではなかったか。書けない苦痛により頭部にもたらされた「10円禿」には驚いたが、幾つかあったそれが公演が終わってしばらくすると、きれいさっぱり消えていたのにはもっと驚いた。

 

 

 

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