活動の記憶㉔ 苦闘の80年代について④ 忙しさに抗して?2020.11.06
「さいごのきゅうか」のチラシを置いてくれるというので、三条木屋町にある「珈琲屋直」に行くと、な、なんと柄本さんの長男さんが3歳になる娘さん(可愛い!)といたのでビックリ。彼と会うのは、本多劇場で上演した「氷の涯」の楽屋で会って以来だから20数年ぶりだが、もちろん、彼がわたしのことを覚えていようはずがない。マスターの直さんと3人でアレコレ映画の話していると、そこへ、柄本さんもやって来て …。C・イーストウッドの「リチャード・ジュエル」の話で盛り上がる。という前置きはそこそこに。
85年に入ると一気に忙しくなる。3月に、流山児からのオファーに応えて、北村想の「碧い彗星の一夜・Ⅱ」を演出。当時としては珍しかった、第三舞台、第三エロチカ、演劇団、ブリキの自発団、蟷螂等の劇団俳優たち及び秘法の木場、小林、森永ひとみも競演した、賑やかな舞台となった。そうだ、主役を演じたのは、何年か前に元都知事の猪瀬 直樹と結婚した蜷川有紀さん。チラシを見ると、わたしが戯曲を潤色したとあるがまったく記憶にない。以前にも書いたが、舞台美術家の島(次郎)さん、音響の藤田(赤目)くんとはこの公演で知り合い、以後、わたし演出の芝居の重要スタッフとなる。5月のゴールデンウイークに本多劇場で「大改訂版」と銘打って「大鴉」を上演、当時はもちろん未だに信じられないほどの観客を動員。6月に渋谷ジャン・ジャンが企画した「別役実作品連続上演」に「マッチ売りの少女」で参加して演出を担当。当時は沖縄の那覇にもあったジャン・ジャンでも公演。この年の始めか前年の終わりか、文学座より「アトリエ公演」の台本依頼があり、多分その締切りは「マッチ売り~」上演の頃だったがまったく書けず。姿をくらますべく(?)行く必要はなかった沖縄公演に同行。文学座のアトリエ公演は10月でタイトルは「事ありげな夏の夕暮れ」。翌年が生誕100年となる石川啄木をモデルに書こうと決め、タイトルは「遠い国には戦があり 海には難破船の上の酒宴(さかもり) ~」で始まる彼の詩「事ありげな春の夕暮れ」から借りたもの。書きあがったのは本番の一週間ほど前か、いや、4,5日前だったかも。この芝居で主役を演じたのが松本(修)くんで、これをきっかけに親しくなる。戯曲は「新劇」に掲載されたがその号が手元にない。多分、読みたくはないと言うので捨ててしまったのだろう。これ以後、当然のことながら文学座からお声かからず。シナリオを担当した映画「危険な女たち」もこの年に上映。シナリオ自体はそこそこの出来だと思っていたが、映画はまったく冴えず。事件を紐解く探偵役の石坂浩二がどうにもこうにも。これまた探偵役の北林谷栄も、試写会の時に紹介されたら、「長台詞が難しくてねえ」なんて言われて。この頃のわたしはこのひとのファンで、だから彼女の語り口調を前提に書いたのにィ、ガックリ。唯一、さすがと思わせたのが犯人役の大竹しのぶで、最低だったのが妻の彼女に殺される寺尾 聰。ま、刑事役の夏八木勲以下も似たり寄ったりだったのだが。うん? この本を書き上げたのは前年だったかな? そして、11月に秘法8番館公演「贋金つくりの日記」。このタイトルは、アンドレ・ジッドが書いた、小説「贋金つくり」の創作ノートのタイトルからの借用。中身は、以前にも書いたが、「眠レ、巴里」と同様、姉妹餓死事件をヒントに、借金取りの攻撃を避けるため自宅に籠った、こちらは三姉妹の話で、自分たちの死までの時間の過ごし方としてチェーホフの「三人姉妹」を演じている。一方、あたかもそんな彼女たちを嘲笑うかのように、こちらは男の三兄弟が借金返済のために贋金つくりに精を出し …。回り舞台がクルクル回って、両方の話が入れ代わり立ち代わり、というお芝居。このホンも本番間際まで書けず。ああ …。以下はこの公演のチラシにある惹句。
昨年の暮れ、圧倒的なご好評をいただいた、日記シリーズの第2弾。悪党続々、背中ゾクゾク。贋金ザクザク、胸がワクワク。虚実の被膜を潜り抜け、虚々実々、自在な日記体で綴る、ホラーを超える法螺話。
一見するとふざけてますが、これは書けない苦しさ逃れと思っていただいたら …