竹内銃一郎のキノG語録

活動の記憶㉙ 秘法解散 ヤガテ時ガクレバ ドウシテコンナコトガ …2020.12.01

秘法最後の作品となった「ひまわり」は、シェイクスピアの「リア王」とチェーホフの「三人姉妹」をドッキングして作り上げた作品。「リア王」にも三姉妹が登場することに気がつき思いついたのだが、もうひとつ、家族を捨てて姿を消した父親が、あれこれあって家族のもとに戻り …という、W・ベンダースの「パリ、テキサス」もヒントにしているのだが、どっちが先行したのかもう覚えていない。そこで、「パリ、テキサス」の公開年を確認しようと、さっきウィキでベンダースを検索してみたら、なんと彼はわたしより二つ上の1945年生まれだったのだ、もっとずっと年上だと思っていたのに。では、彼と同じ頃にわたしが追いかけていたP・アンゲロプロスは何年生まれだったのかと、恐る恐る(?)検索してみたら、こちらは一回り年上の1935年生まれ、やれやれ。ついでにと、先日、TVで「トーク・トゥ・ハート」を初見し、やっぱり凄いと思わせたP・アルモドバルは? と検索したら、こちらはナ、ナントわたしより二つ年下! もうひとつ驚いたことがある。「パリ、テキサス」が日本で公開されたのは1985年でベンダースが40歳の時、「ひまわり」の公演は88年で、わたしが41歳の時。重なってるなあ。まあ、どうでもいい話ですが。

「ひまわり」も、ホンを書き終えたのは本番の2、3日前。なので、出演者たちはなにをどう演じるのかを考えるよりも、とにかく台詞を覚えねばという四苦八苦を抱えたまま本番を迎え、皆がまずまず台詞を言えるようになるまで3、4日はかかったはず。但し、ひとりだけ例外がいて、それは木場さん。彼は、新しく書き加えられた、原稿用紙にして数枚の台詞を、二度三度読み合わせただけでほぼ完璧に暗唱出来る剛の者(?)だったのだ。以前にも書いた記憶はあるが、彼曰く、「これだけの記憶力があるのに、どうして大学は明治の2部しか受からなかったんだろう?」。こういうことは毎度お馴染みのことであったが、この時は舞台美術担当の島さんも困り果て、上下両方であったか、上手だけであったか、長い厚手の布を上からだらりと下しただけのものであった、(多分)。公演は、まずはスズナリでの10月末から11月にかけて10日ほど、それから北海道の札幌に行き、最後は横浜に新しく出来たばかりの本多劇場で。札幌には数日間いたのだろうか? いまふと思い出した「事件」が起きたのだ。確か初日の公演終了後、劇場側からだか演鑑のひとからだか、七面鳥の肉をいただき、それを出演者のひとりが、翌日の舞台のすき焼きを食べるシーンで牛肉の代わりに使ったのだ。そしたら、幕が下りてすぐ、森川が「なんで七面鳥なんか食わせるんだ!」と、鬼のような形相で怒り狂ったのだった。

「ひまわり」の全公演が終わってから解散が決まるまで、いったいどれほどの時間をかけ、劇団員たちとどういう言葉を交わしあったのか。これもまったく覚えていない。覚えているのは、この何年か前に護国寺から下板橋に移した稽古場を、麿さんの大駱駝艦に引き継いでもらったことと、劇団に残っていたお金を、劇団員キャリアをベースにして皆に振り分けたことと、それだけである。誰からも解散決定に対して異論反論はなかったはずだ。

「ひまわり」を久しぶりに読む。劇はガラス拭きのふたりの男が仕事をしながらのやりとりから始まる。物語は、ふたりがガラスを拭いていた室内で進行し、彼らはいうなれば<影の声>的存在のように扱われているのだが、終盤、木場が演じたこの家の<アルバイトの父親>が、思わぬ形で捨てた息子と涙ながらに再会した途端、息子が暗闇の中で何者かに殺され、その犯人が物語とは無縁の存在と思われた、ふたりのガラス拭きであるらしいことが明らかになり、そして、ふたりが仕事を続けながら語る「三人姉妹」の最後の台詞とともに幕が下りる。少なからずの方々はお気づきであろうが、今回のタイトルにあるのは、その最後の台詞の一部である。

 

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