中世では、博打打ちは「芸人」と呼ばれていた。 中沢新一「僕の叔父さん 網野善彦」を読む2010.11.04
改めて言うことでもないけれど、この歳になっても知らないことはヤマほどある。
先週の金曜からわたしは休暇中。勤務する大学が学園祭やっているので。
このところ読書三昧、映画三昧、テレビ三昧の日々。ヤッホー!
中沢新一の「僕の叔父さん 網野善彦」を読んで、ちょっと感動。以下、その部分を引用する。
中世では、博打打ちは「芸人」と呼ばれていた。(中略)よい賽の目を出そうと思ったら、人はただ「神仏に祈る」しかない。博打はサイコロが振られるたびに、時間からの小さなトランセンデンタルな離脱を実現していく。だから、博打は神仏の領域に近い芸能であったのであるし、それを扱う博打打ちは神仏の出現を演じてみせる猿楽者などと同じ、神仏に仕える芸能者としての認識があったのである。(中略)
博打は人生に偶然性を取り入れるための「芸能」である。つまり、なにものにも縛られることのない絶対的自由の領域からのメッセージを、「神意」として受け取るための技芸だったわけだ。博打打ちが流浪する人生を好んだのは、ひとつの土地だとか人間関係のしがらみだとかに縛られるのを嫌ったからだが、そういう意味では彼らも神に近い人たちだったと言えるだろう。
この三十年の余、わたしは週末のほとんどを競馬に費やしてきた。時々、競馬に費やした時間の半分を執筆に回していれば、戯曲の10本くらいはゆうに書けたろうにと思ったりしたが、いやいや、網野先生のご高説に従えば、わたしは週末もずっと欠かさず、他の同業者の誰よりも(多分)芸能活動に励んでいたのだ。
ついでに言い添えると、わたしは「流浪する人生」も好みです。