同じ空間で同じものを見る悦び 北山修の「共視論」2011.01.07
北山修は、大学を定年で退官してから、アカデミックシアターというのを始めたらしい。年末のテレビ東京でその模様をやっていた。
アカデミックシアター。学術劇場なんて言っても、ま、要するに講演会なんですけど。歌なんかも歌うのかな?
北山修のこと知らないひとのために。
学生の頃、フォーク・クルセダーズというグルーブで、故・加藤和彦、はしだのりおと歌を歌ってた。卒業・解散記念に作った「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。それで1年くらいプロ活動してグルーブは解散。加藤とはしだは、それぞれ別のバンドを作って音楽活動を続けたが、北山は大学に戻って精神医学の先生になった、と。
それはともかく。
北山は、浮世絵を素材に、日本人の深層心理を研究をしているらしい。とりわけ母子関係を。
浮世絵には、とにかく母子を、母子だけを描いたものが多いのだという。父の不在は昨日今日の話ではないのだ。 そして、母子はほとんど、同じ目の高さで同じ方向、同じものを見ているのも、西洋絵画には見られない特徴らしい。
おまけに、浮世絵だから当然と言えば当然なんだけど、子供のほとんどは男の子で、まあふたりは淫らな空気に包まれてるわけですね。
彼が導いた結論は、共視、すなわち共に見ることが人間にはどれだけ大切か、ということで、家族親戚一同で花火見物を楽しむさまを描いた絵を引いて、ここにいるひとたちは、花火を楽しんでいるというより、同じ空間で、同じように同じものを見ている、そのことが喜びなのだと説く。
なるほど。わたしたち演劇に携わる者はこの事実をないがしろにしてはいけない。即ち、観客はただ芝居を観るためだけに、わざわざ劇場に足を運ぶわけではないことを。
因みに、「あの素晴らしい愛をもう一度」は北山作詞加藤作曲。若いときは、ケッ、軟弱ヤローどもがと、わたしこのひとたちを馬鹿にしてましたが、やっぱり名曲。ということで、12月にやった芝居で使っちゃいました。