竹内銃一郎のキノG語録

ひとは哀しいから泣くのではなくて ヴェンダースの演技論2011.01.19

わたしの競馬歴は、かれこれ40年にならんとしている。自慢にもならないキャリアだが、おかげで(?)、いまや自称日本一のパドック名人となった。要するに、その日の馬の調子・状態がよ~く分かるようになったのだ。
しかし、競馬は難しい。状態は120%の出来だけど能力の低い馬と、70%の出来だけど能力の高い馬との比較がとても難しいからだ。また、能力が低いと思われ人気のまったくない馬が、わたしが睨んだ通り大健闘しても、4着だったら馬券の対象にならないし、そんな馬が低人気をあざ笑うように1着になっても、能力も高く調子もよいと見たテッパンの馬が、レース中のちょっとしたアクシデントで凡走したりすれば、これまた馬券は紙くずになってしまう。いったいこれまで、こんなに哀しく悔しい痛い目に、何度あったことか。ク、ク、ク。
でもでも。競馬はこんなことの連続だからやめられないのだ。そう。当たるからやるのではなく、当たらないからやるのだ。当たらないということを前提にするから、身の程知らずの大金は賭けないし、だから、長く長く続けられる。博打で身を滅ぼすひとは、要するにビョウキのひとだと思います。
というのは前置きで。

 
演技・お芝居の話ですが。最近はとんとその名前を聞かないのですが、ドイツの映画監督で、ヴィム・ベンダースというひとがいます。何本か傑作も作っていて、中でもわたしが好きなのは、「都会のアリス」というロードムービーと「東京画」という小津安二郎にオマージュを捧げたドキュメンタリーですが、それはともかく。
彼の演技論はとても明解で、それは「エモーション(感情)がモーション(行為・行動)を促すのではなく、モーションがエモーションを呼び込む」というものです。
多くのひとは、もちろんプロと自称するひとも含め、みんなこの逆だと思ってる。哀しいという感情が泣くという行為を生むのだ、と。
違う違う。ひとは哀しいから泣くのではなくて、泣くと哀しくなるのです。
TVの「ほんまでっか?!」でも、池田清彦が同じことをいってました。アタマにきたから相手を殴ったのではなく、手が先に出て、そのあとに理由づけとして「アタマに来た」が来るのだ、と。
池田氏の弁を借りるまでもなく、こんなことはずいぶん前から「科学の常識」になっているのに、いまだに「どうやったら気持ち・感情を作れるか」とか「役の気持ちになって」とか愚かとしかいいようのないことを口走るノー天気があとを絶たない。
一度も読んだことはないけれど、「ガラスの仮面」なんて結局、延々そんな話をしてるわけでしょ、きっと。
ところで「ほんまでっか?!」って、誰が考えたんでしょう。司会のさんまも凄いけど、あんなコメンテーター(?)たちを揃えてみせたプロデューサー、あんたが一番!!

一覧