読書日記 金子光晴「どくろ杯」、他 日経新聞掲載2011.04.26
以下は、日経の夕刊に5回連載したもののすべて。実際に新聞に掲載されたものとは、微妙に違う回もある。新聞では11字×50行を意識して書いたので、こうして縦書きではなく、しかもダラーと横に長い文字の並びを見ると、なにか別の文章の趣さえある。やはり、見た目は大事です。 1回目 金子光晴の自伝、『どくろ杯』、『眠れ巴里』(ともに中公文庫)を読んだのは、三十も半ばを過ぎた頃でしょうか。 金子は、一九二八年、借金苦と恋愛のもつれの清算を期して妻とともに日本を脱出し、以来5年間、アジアからヨーロッパ各地を放浪するのですが、前者は最初の漂着地、上海を、後者はパリを主な舞台として、「泥沼の底に眼を閉じて沈んでいく」ような、すさまじい日々が綴られます。 当時の金子は、金のため、生きるためなら、男娼とひと殺し以外はなんでもやったと噂されていたそうですが、まさにそこは弱肉強食の世界で、ヒューマニズムの微温などいささかもなく、金子の周囲に次々と現れては消える(死んでいく)腐臭漂う輩の魅力もあいまって、痛快なピカレスク(悪漢)小説を思わせる面白さ。人間の内側からえぐりとるような冷徹な眼差しが、哄笑を誘うドタバタ喜劇そこのけの滑稽を正確にとらえ、全編を通して絶えることなく吹き抜ける虚無の風には、心地よささえ覚えます。 などとのんきなことが書けるのは、齢を重ねているからで、もしも多感な二十歳前後にこの両著を手にしていたら、わたしのその後の人生は、きっとあらぬ方角へと舵を切っていたはず。危険というほかない書物。出会いの遅れに、今更ながらほっと胸を撫で下ろしたことでした。 (2011・3・2 掲載) 2回目 演劇に携わるようになって、いつの間にか三十年を超えた。戯曲はともかく、演出はまったくの独学。当初は稽古の方法も分からず、手当たり次第に関係書を読んだのだが、もうひとつピンとくるものがない。実際の舞台は、複数の俳優とスタッフの関係性の中で成立するはずのものなのに、結局のところ、俳優個人の技芸に焦点が絞られてしまうもどかしさ。そんな手探り状態の中で巡りあったのが、上野千鶴子著『セクシィ・ギャルの大研究』(岩波現代文庫)だった。 人間行動学の方法を使って、商業広告に使用された写真・イラストを素材に、「自分と同時代の日本社会を分析」したもの、というのがこの本の表の顔(?)だが、「人間の『しぐさ』にも、文法がある」という演劇的示唆にとんた小見出しから始まって、女性が胸を隠すポーズをとる時の真意、サングラスという小道具が物語る意味等々、「手は口や目ほどにものをいう」事例を、これでもかとばかり提示され、目から何枚のウロコが剥がれ落ちたことか。また、「女の読み方・読まれ方・読ませ方」という副題からも明らかなように、 これは過激な女性論でもあって、この点でも、とりわけ女優さんとの接し方において、大いに参考にさせていただいた。 刊行から四半世紀を経た今でも、まったく古さを感じさせない名著だ。 (2011・3・9 掲載) 3回目 書くということ、語るということは、ことばを操ることではなく、ことばに操られ、ことばと格闘することだ。書き直す。言いよどむ。引き返す。押し黙る。廃棄する。 ことばのやりとりは、魂の、時には、命のやりとりに等しい。読むたびにこのことを実感させてくれるのが、前田英樹著『ソクーロフとの対話 魂の声、物質の夢』(河出書房新社)である。 ソクーロフは数年前、天皇ヒロヒトを描いた『太陽』で話題になったロシアの映画監督。著者は、「イマージュとか知覚、そして記憶といった問題について徹底的に」考える、誠実にしてラジカルな思想家だ。 著者のソクーロフの映画の印象・感想を皮切りとして、話題は、日ロの文化・風土の違いへと広がり、そして、表現とはなにか、人間とはなにかという深みへと降りていく。静かだが緊迫する議論。幾度も生じる考えの誤差。が、決してひるまない。臆さない。妥協をしない。執拗に徹底的に両者は語りあう。まるで、その現場に居合わせ、ふたりの声に包まれているような臨場感がある。 耳を疑うような政治家諸兄の無責任な失言が象徴する、昨今のこの国の「軽口化傾向」を背景に置くと、両者の白熱することばの美しさ、潔さ、そして、そのことを可能にした互いの揺るぎない敬意に、いっそう心うたれる。めまいさえ覚える。 (2011・3・30 掲載) 4回目 柴崎友香著『その街の今は』(新潮文庫)は、大阪のミナミで生まれ育った、二十八歳になる女性「歌ちゃん」の、ありふれたと形容するほかない、日々の暮らしを描いた小説である。 ありふれた日々の暮らしは、ままならない人生とほとんど同義語だ。五年間勤めた会社は倒産するし、合コンに出かけてもさしたる成果はなく、今は他の女性と結婚もした昔の男が、今でも心のどこかに引っかかっている、等々。むろんそれらは、先の大震災がもたらしたものと比べれば、あまりに小さな不幸に過ぎないが、現在とそして将来の心もとなさを実感させるには十分すぎる重さと大きさを持っていて、自身が生まれる以前のミナミを写した古い写真収集への、彼女の過度な傾きは、それがゆえなのだ。「自分が今歩いてるここを、昔も歩いてた人がおるってことを」確認することで心の均衡を保とうとする、彼女のけなげな頑張りが愛おしい。 大震災以降、被災された方々に送られる、「ガンバロー」という熱い声援が、絶えることはない。むろん、その言葉に込められた善意は疑いようもないものだ。しかしこんな時だからこそ、この小説にあるような、語るそばからかき消えてしまいそうな、儚いけれどその分、涼やかで伸びやかな言葉=メッセージが、わたしにはことのほか貴重なもののように思われる。 (2011・4・6 掲載) 5回目 先日、久しぶりに東京に帰ったのだが、池袋駅構内のあまりの暗さに我が目を疑った。灯火管制がしかれ、食糧事情も悪く、被災地の救援に自衛隊員の半数と米軍があたっているとなれば、いまはほとんど戦時下なのだ。しかし、肝心の敵が特定できず、いや、もしかすると、それはわたしたち自身なのかも知れないと思えば、不安とやりきれなさは更に募るのである。 チェーホフの『三人姉妹』(新潮文庫他)が戦争を背景にしていることは、誰でも知るところだ。登場する男たちは、ひとりを除き、すべて軍人。彼女達は、戦地に赴く彼らを見送りながら、あのラストの名台詞を語るのである。「生きていきましょうよ」と。 「四大劇」と呼ばれるチェーホフの四本の戯曲は、まるで一本のドラマのように似通っているが、登場人物たちはいずれも、父・母たることを拒否、もしくは断念していること、これは見逃すことの出来ない共通項だ。「大人の劇」と見なされることの多いチェーホフ劇だが、彼の描いた世界は、永遠の子供たちが戯れるネバーランドではないか。すべては子供たちによって語られている。そう考えると、先にあげた名台詞も、いっそう胸に染み入るのである。 (2011・4・13 掲載)