カネフスキーの「ひとりで生きる」は、胸を締めつけられるような傑作だ。 2010.05.26
ヴィターリー・カネフスキー。20世紀の終わりに忽然と現れ、「動くな、死ね、甦れ」「ひとりで生きる」「われら、20世紀の子供たち」の3部作で、世界の映画界を震撼させたロシアの映画監督。「動くな ……」は、1950年代のシベリアが舞台。劣悪な環境の中で、たくましく生きる少年が主人公だ。「ひとりで生きる」は、その続編。「われら ……」は、モスクワの不良少年たちを追いかけたドキュメンタリーだが、ラスト近く、重罪を犯した少年達がいる刑務所に潜入すると、なんとそこに ……! これらを見た、今から思えば切ないシチュエーションもあいまって、3本どれも、わたしにとっては忘れられない、胸を締めつけられるような傑作だ。大阪では今月28日まで、シネ・ヌーヴォで上映されてますね。さっき知ったんですけど。そんなこと知らずに書いてた。なんという偶然!
この10年ほど、彼の映画が公開された、というニュースが入ってこない。10年ほど前、ロシアに行った折り。サンクト・ペテルブルグの演劇大学の学生達と話す機会が設けられて。カネフスキーの映画の感想を聞いたら、誰も見たことがないどころか、名前も知らないという。国際的な映画祭で幾つも受賞をしてるのに! ま、うちの専攻の学生たちだって、青山真二の映画なんて誰も見たことがないだろうし、名前も知らないはずだから、同じといえば同じだけど。でも、むこうは国立の、選りすぐりのエリートが集まる大学ですからねえ。ついでに、ヴォリス・バルネットは? と聞いたら、同様の返答。「やめちまえ、ロシア人を!」 と、わたしは思わず叫んでしまいました。勿論、心の中でですが。
わたしが担当している「文章表現」の授業。隔週の割合で、文章を提出させているのですが、先週は豊作でした。
課題は、「ぼくの好きな先生」。内田樹氏の「先生はえらい」の一部を読み、先生について書いてもらったわけですが。もっとも秀逸だったのが、日常がわたしの先生だ、というもの。去年も同じ課題を出したら、犬や猫、人形、姪等々、ふにゃけたことを書いたものが続出したので、そういうの禁止令を出したのですが。「日常先生」は、かなり手の込んだ反則技だ。でも、反則であろうとなんであろうと、いいものはいい! 「日常先生」! この文字面、音の響きだけでも鐘三つだ。喩えが古かったかな? こういう優れものが時々教室に紛れ込んでいるから、教師は油断できない。
でもでも。こんな「個性的な」学生も、2年経ち、3年経つと、「普通のひと」になってしまう。そんな例をこれまでどれほど見てきたことか。なまじ賢いから、周りに合わせてしまうのでしょう。それでどんどん ……。柔軟であるということがアダになってるといいますか。ひとりで生きる、個性的であり続けるというのは、とても大変なことなのだ。でもでも、「日常先生」には、強く生きていただきたいなと、わたくしは密かに応援しているわけですが。