竹内銃一郎のキノG語録

最初のせりふ 函館より2011.07.26

先週の土曜から函館に来ている。
こちらはやっぱり涼しい。今日も午前中2時間余あちこち歩き回ったけど、うっすら汗ばむ程度でそれがまた心地よい。
日曜の競馬で負けた以外はきわめて順調。約束通り月曜には、来年MODEで上演予定の「満ちる」の半分を松本くんに送り、即、10月のドラボ公演「心臓破り」に取り掛かる。
プロットはほぼ出来上がっている。でも毎度のことながら、最初のせりふが難しい。 よくは知らないのだが、囲碁将棋の最初の一手には、そんなに選択肢はないのではないか。野球だってサッカーだって、多分同じだろう。
でも戯曲は、選択肢が無際限だ。
誰と誰がなにを話すのかは決まってる。しかし、どっちから話し始めるのか。Aから始めるとそれにBがこう切り返し、それをまたAが…
先に挙げた囲碁将棋のトップクラスは、20手30手先を読むというが、こんな風にわたし(たち)も先を読ながら書き進めて行く。多分10手先くらいは。
書き出しが難しいのは、小説や批評も同じだろうが、まさかこんな苦労はしてないだろう。
将棋の羽生によれば、確かに20手30手先を読むけれど、そのすべての可能性をシュミレートするわけではなく、長年の経験から来る勘によって、適当に間引きながら推理を進めるのだという。
多分誰でも、戯曲を書きはじめた当初は比較的スラスラ書けるのは、選択肢の数が少ないからで、そのうち書けなくなるのは、先に書いた、間引きながら、ということがうまく出来ないからだろう。
もっとも、な~んにも考えないで、ゴミのようなものを量産して、それを屁とも思わない人には、関係のない話ですが。
書き上げるのに、正味一ヶ月かかるとすると、一週間くらいは、最初のせりふの二つ三つを書いては消し書いては消ししてる。ま、一手打ったら一度蹴ったら、やり直しがきかない将棋やサッカーと違って、わたしらの場合は何度でもやり直しがきくのは有り難いのですが、締め切りというものが現にあり…

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