刺激を下さい アイホールで「エダニク」を見る2011.08.19
わたしの辞書に「夏痩せ」はない。
夏になると太る。暑いから外に出ないし、とりわけ、いまのようにずっと原稿を書いてると、一日中ほとんどパソコンの前から動かないし、連日夜遅くまで(というか夜明けまで)起きてるから、夜食は食うしで、もう痩せるひまがない。おまけに「ストレス」という言葉もわたしの辞書からは消されているので ……
一週間ほど前になるのか、伊丹のアイホールで、「エダニク」を見る。
戯曲は去年の劇作家協会新人戯曲賞の受賞作。チラシにこの時の、マキノノゾミ氏の選評の一部が引用されていた。曰く「これ以上なにを望むのか」(正確ではない)。まあ、それほどではない。アラを指摘しろと言われれば、ただちに10や20は挙げることが出来そうだが、それでもかなり上等な出来映えで、驚いたのは意外にも! わたしの大学の授業での、学生達への指導をそのまま実践していることだ。
もちろん、この作家とはなんの面識もない。
どこがどう、そうなのか。幾つもあるうちのひとつを挙げる。
登場人物の設定の方法。これに限らず、わたしが繰り返し口を酸っぱくして言っているのは、「比較し、差異化を図れ」である。
例えば、この作品の人物たちがどのように描かれているかというと。
AとBは、食肉処理工場の同じ現場で働いているが(同一)、年齢が(推定)10歳ほど違い、Bは関西弁を使う(差異化)。この芝居は三人の男しか登場しない。最後に登場するCは、ABを相対化するように、食肉処理にはほとんど無知の素人、という設定。見事な色分けである。
また3人の力関係と言うのか。劇は要するにパワーゲームで、3人のうちの2人を対立関係とし、残りの1人は、蝙蝠みたいにあっちについたりこっちについたり。この蝙蝠の動きによってゲームの勝敗が左右されると、こういった基本をこれまたキッチリ踏まえて、この本は書かれているのだ。
よく出来ている。この作品の美点も物足りなさもここに尽きよう。
食肉処理工場という、物珍しい、アプローチの仕方によってはかなり際どいものになりかねない「面白そうな場」を用意しながら、危うさがない。言葉を変えれば、色気がない。
わたし(たち)は、劇場になにを求めて出かけるのだろう? 誤解を恐れずに言えば、日常ではあまりお目にかかれない「あやういもの=ヤバイもの」見たさに出かけるのではないか。ひとはそれを「色気」というのではないか。
よく出来ている。英語に直すとウェルメイド? ウェルメイドって娯楽ですね、乱暴に言っちゃえば。
いまどき、「娯楽」を求めてわざわざ交通費使って、決して安くはないチケットを買って、2時間あまり椅子の拘束される不快を耐えるために、劇場に出かけるひとがいるだろうか?
娯楽ならテレビでたくさんだし、一週間に一回、「明石家電視台」を見れば、「わたしの娯楽」はもうそれで十分なのだ。
演出も3人の俳優も、よく出来た台本をソツなくまとめて、地味目ではあるが「ウェルメイド」の名に恥じない作品になっていた。
でも? だから正直、時々眠くなってしまって ……
ソツがない芝居って退屈なんですよ、やっぱり。
2ヶ月ほど前になるのか、京都で見た「異邦人」という芝居。これはこれで、戯曲も演出も「なにスカしてンの?」という芝居で、相当苛立って、寝させてもくれず、まあ、ああいうものに比べれば、ナンボかまし、ということにもなるわけですが。
芝居は難しい。というより、竹内が難しい?
歳をとると、太るし、すぐに眠くなる。刺激を下さい、刺激を!
「エダニク」のチラシに、劇作家のK氏の推薦文(?)も載っていて、曰く「ここで描かれる食肉処理工場は、原発の現場と同相だと見る想像力が、観客にはほしい」(正確ではない)とか?
まるでコケオドシのように、「同相」などというあまり見慣れぬ単語を使うところがいかにもK氏らしいが、芝居をどう見ようと観客の勝手である。大きなお世話だ。
こういうのをムダニクという。