竹内銃一郎のキノG語録

もうじき終わるゾ「鼠穴」2014.11.09

わたしがここまで書いてきたことは、要するに、師弟コンビに比べ円生は実に細かい、細部に至るまで考え抜かれている、ということだ。

例えば、借金を願い出る弟に幾らほしいのかと兄が問うと、弟は百両と言いたいところだが50両もあればと答える。そしてそれを拒否され、捨て台詞を吐いて外へ出た後、娘にお金は幾らいるのかと聞かれると、師弟コンビは50両だと兄に言ったのと同じ数字を言うのだが、円生は20両あればと答える。つまり、20両あればなんとか商売再開のめどはたつのだが、それを弟は50両と吹っかけたのだ。弟だって、最初から兄が彼の財産のすべてを差し出すなどとは思っていない、しかし、確かにそれを口にしたのだからこれくらいは出してくれても、という数字が50両なのだ。

言った言わないのやりとりでも、円生の兄・弟の台詞の数・量は談志の半分以下で、逆に、志の輔は円生の倍以上を費やす。そして、師弟コンビはここでも弟に悔し涙を流させる。師弟コンビは言わなくてもいい言葉・形容句をしばしば使う。例えば、弟が子連れで兄のところに来るとき、表ではなく裏口から入るのは円生も同じだが、師弟コンビは裏口の前で、中へ入ろうか入るまいかと行ったり来たりしている、という形容句を入れる。しかし、弟はいまは苦境に立っているとはいえ、一応、大店の主人だ、そんな、ひと様に見られたら怪訝に思われるような真似をするだろうか。また、火事で三つ目の蔵が焼け落ちたとき、師弟コンビは、「普段は気丈な男も思わず持っていた提灯を取り落とし」と、弟を気丈な男だと言う。しかし、裏口でウロウロするような男をフツー、気丈とは言わないし、逆に、兄弟にそんなことされたら泣くよね、というところでも決して涙を見せないから「気丈な男」なのではないか。師弟コンビはひとこと多いのだ。そして、その余計なひとこと、軽々しい言葉が墓穴を掘り、人物や状況を薄っぺらにしてしまう。もちろん、円生はそんなことは言わない。言った言わないの場面で、とりわけ志の輔の言葉数が多くなってしまうのも同様の理由からで、ふたりにまるで掴みあわんばかりの勢いで言葉を応酬させるのは、そういう演出の方が派手で、喧嘩の臨場感も増して、客はこっちの方が分かりやすくて喜ぶだろう、と考えるからだろう。円生の弟は、だって火事になったら …とやや強めの語気で抗議し、兄はそれに笑みを浮かべながら「言ったかもしれねえが、それはおらじゃねえ、酒だ、酒が言ったんだ」とそれに応え、すると、弟は、「あんたは人間じゃねえ、鬼だ」というと、兄の柔和な表情は、一瞬にしてこれ以上はなかろうというほど厳しいものに変り、しばらく黙って弟を睨みつけ、「兄をつかまえて鬼とはなんだ」と厳しく叱責する。それに応えて弟が、「鬼でなければ畜生だ」と言うか言い終わらないうちに、兄は弟の顔を拳で殴りつける。

あらゆる局面において、円生は勝負が早い。3者の噺の時間を確認すると、円生と志の輔は40数分とほぼ同じだが、途中で夢の話が入り、もの売りの声も実にのどかに演じているのに、円生の方が圧倒的に早く感じる。内容がギュッと詰まっていて、緩急のリズムが心地いいからだろう。談志は30分くらいだが、これは枕が短いからだ。

弟は店の者に、今日は風が強く火事になると大変なことになるから、鼠穴をちゃんと塞いでおくように、と言い置いて兄のところに出かける。多くの客はこの時、ああ、火事になるのだなと先を読むだろう。そして、家に帰るという弟を引き止めるために兄が、火事になったら自分の全財産を …と口にした時にも、おおよその客は、兄の裏切りを予想するはずだ。だから後に、兄が弟に示した態度は、円生の見事と言うほかない演技(?)には驚いても、ストーリー展開にはさほど驚きはしないだろう。誰しもが驚くのは、わずか7歳の女の子が、自分を吉原に売って再建資金を作ってくれと言い、そして、父親が娘の申し出を実行することだ。いまの基準に照らせば、弟に金を貸さない兄よりも、娘を売った弟の方がずっと非人間的だ。もちろんいまの日本にも、わが子を児童ポルノに出演させる親もいるわけだが、しかし、そんなヤクザまがいの連中とは違って、弟はマジメな市民なのである。一方にのどかな物売りの声があり、もう一方にはこの酷薄としか言いようのない現実がある。これが江戸という街であり時代であると、師弟コンビのようにいたずらに情緒に流れない円生は、明晰に指し示すのだ。

最後に、夢オチという構成の妙にも触れたいのだが、長くなったので次回に。

 

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