竹内銃一郎のキノG語録

ビジョンを示せ。 選挙と「THE MANZAI」の結果を憂う。2014.12.15

昨日の競馬。阪神ジュベナイルFに愛馬・コートシャルマン出走。調教抜群。パドックでの出来も馬体ピカピカで、これで勝たなきゃおかしいと思わせる上々の出来。心配していたスタートも出遅れることなく、いつもは後方からレースをする馬が先行馬群の後ろにつけ、こりゃ貰った、最後の直線で他馬をどれだけブッチ切るかと思いきや、まったく伸びず、結果10着 😥 馬の2歳は、人間でいえばまだ中学生。おまけに女の子だから、ちょっとしたことで傷ついて、走る気をなくしたのかも知れない。ああ、難しい 😳

衆院選挙。大方の予想通り、自民圧勝。自民が強かったというより、野党が弱すぎた。押しまくる安部・自民に対して、押し返す具体的なビジョンが示されず、これでは選びたくても選べないというのが多くの選挙民の本音で、だから、投票率が上がらなかったのだ。(選挙が決まったとき、横綱・自民を相手に、平幕の民主・海江田は、「受けてたちます」なんてミエを切ってた。痛い、痛すぎるアイツ)

TV等ではみな判で押したように、選びたい党・ひとがなくても、せっかくの権利を放棄するな、ベストがなければベターを選べばいい、などと言っていた。みんなクズだったらどうすればいいのだ。よりましなクズを選ぶのか。ほんとにそれが真摯な選択だといえるのか。

いつものように、選挙期間中、候補者たちは自らの名を連呼していた。登場してまず、「名前だけでも覚えて帰って下さい」と言って漫才を始める若手芸人じゃあるまいし。自分(たち)がどういう政治をしたいと思っているのか、そんなことはどうでもいいから、とにかく名前を覚えてくれ、投票用紙に自分(たち)の名前を書いてくれ、というのは、選挙民のみならず自らをも愚弄していることにならないか。

数ヶ月前だったか、ネットで政治家の劣化の現状とその理由を赤裸々に書いたものを読んだ。書いたのは、元だか現だかの代議士秘書。優れた人材が政治家を目指さない。それは、政治・政治家が蔑視・軽蔑の対象になっているからだ、という内容。とても得心がいった。定員削減も含め、選挙制度の抜本的改革をしないと、この国の政治はもうどうにもならないのではないか。

「THE MANZAI」で華丸・大吉が圧勝。ここでも、華・大が強かったというより、相手が弱すぎた。踏んできた場数の違いがそのまま結果につながってしまった。緊張もしていたのだろうが、若手コンビはいずれも、練りこんだネタを一生懸命にやり過ぎて、客の反応がいつもと違ったりすると、それに対応出来ない。漫才の基本は、「ちょっとした立ち話」の面白さだ。漫才はというか、芸能ごとは、「作りこんだもの」だと客に感じさせてはダメなのだ。ネタ的には、囲碁将棋の「肛門とタオル」は相当面白いのだが。

しかし。かっての「M1」にあった熱気のようなものが、すっかりなくなってしまったのは寂しい。その熱気は多分、新しい漫才を作ろうとの意気込みから生まれたもので、それが客席にも伝わってきた。その意気込みが感じられない。となれば、いかにも漫才らしい漫才をする華・大が勝つのは、自民が大勝したのと同様、当たり前の話だ。

あっちでもこっちでも、新しい変革の風が吹かない。このまま終わってしまうのだろうか、この国は。

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