竹内銃一郎のキノG語録

戯曲講座を開設?2015.02.03

さすがは蓮實重彦! などとわたし程度のものが言うのもどうかと思うけれど、彼の「『ボヴァリー夫人』論」は、「ボヴァリー夫人とは何か?」(誰か? ではない)という問いから論が説き起こされている。

読むそばから見るそばから小説や映画を忘れてしまうわたしでも、何年か前にドラボでこの小説を劇化・上演したとき、繰り返し何度も読んだので、「ボヴァリー夫人」はさすがにかなり覚えている。

「ボヴァリー夫人」はおかしな小説だった。読み始めてしばらくしてまず「おや?」と思ったのは、ボヴァリー夫人が三人いるということ。これには驚いた。そして次に「どうなってるの?」と思ったのは、肝心のエンマ(3番目のボヴァリー夫人)がなかなか登場しない、ということだったわけだが、さすがのハスミ先生は、この2点を軸に「ボヴァリー夫人とは何か?」と問うている。そして、フローベールが作中に「エンマ・ボヴァリー」という名を一度たりとも書いてはいないことを確認し、にもかかわらず多くの批評家研究者等々は、この小説はエンマ・ボヴァリーの不倫がどうこうと、まるでそれが既定の事実であるかのように書いている、これはおかしい、ほんとに皆さんお読みになっておられるのか? と執拗に繰り返すのは、映画を論じる際に、ほんとに見たの? という問いを繰り返す手口とこれは同じだが、要するに、「なぜエンマ・ボヴァリーを不在としたのか?」という問いのない「ボヴァリー夫人」論などありえない、というのが先生の論のとりあえずの主旨なのだ。ナルホド。

この800頁を超える(原稿用紙2000枚!)という大著、最初は最後まで読み通せるのだろうかと思っていたが、スリリングな謎解きと先のような不意打ちが繰り返し続くので飽きることがない。にもかかわらず、時々睡魔のヤツが …。まだ80頁あたりをうろついている。

ところで。いきなり話変わって、以下に質問を記します。

これをお読みになっておられる方、あるいは皆さんの周辺に、例えばわたしが、「戯曲講座」なるものを開設するとしたら、どの程度の方が興味を持たれ、受講してみようと思われるのでしょうか? 数人でもいらっしゃれば、やってみたいと思っているのですが。どうなんでしょう?

その内容は? と興味を持たれたら、このサイトの<リクエスト>から、「戯曲講座の詳細を」とご連絡下さい。

ご連絡の締切は、今月末と致します。

 

 

一覧